事前審査講評

事前審査講評

2017年の写真祭ポートフォリオレビューの事前審査が終わりました。現在結果をそれぞれの写真家に送り出しているところです。

今年の作品は全体として低調でした。作品に芯がなく、何を伝えたいのか、どう表現し、誰に伝えたいのかが明確でない作品が多かったと思います。ただ小ぎれいな写真を並べたり、美しくもインパクトもない写真を連ねたり、テーマやストーリーが定まっていない作品が例年より目立ちました。ステートメントも、内容、書き方、全てが不勉強で、作品を支えるものとはとても思えないものが多かったと思います。とはいえ、現在の日本で写真表現をどう学び、どう準備を進めていけばいいのかわからない、という写真家が圧倒的に多いことも確かです。写真家ばかりに責任を押し付けるわけにはいかないと思います。

六甲山国際写真祭も今年5年目を迎え、これまで数多くの優れた写真家を目撃し世界に送り出してきました。ここにきてこのような質の低下を迎えたことをどう考えるべきなのでしょうか。しかし、実際こういう事態が起こることは十分に予想されたことです。

ポートフォリオレビューという言葉が一人歩きしているのか、ポートフォリオレビューが作家としてのチャンスを作り出すものであるとの認識がない、おそらくなんらかの認識不足か誤解があり、そもそも写真の勉強をしているのか、他者の作品を見て評価したり自分がどう評価されるのだろうかなどと考えたことがあるのか、そもそも作家であると宣言できる資質や経験が圧倒的に足りないわけで、おそらくポートフォリオレビューを受ける以前に写真家という職業や作品という言葉の理解、すべてについて理解しているのか疑わしい人が応募してきています。もちろん、ポイント上位にいる人たちは経験豊富で美しい作品もあり、それがせめてもの救いです。作家になるということがいかに大変か理解しないままこのような場所にやって来ると、結局は傷つき悩むだけです。

その原因について考えてみると、一通り優秀な作家たちが国内のレビューを一巡したと考えるべきなのか、日本の写真家層の薄さの問題なのか、ポートフォリオレビューのシステム自体に不信感があり賢い写真家たちが回避しだしているのか、写真祭そのものが十分に機能していないのか。どれも理由としては正しいと思います。しかし、その理由を探る前に、本来的なポートフォリオレビューなどというシステムがこの国においては、一部の写真家を除けば、まだまだ大げさで不要なシステムなのではないかと考えざるを得ない気がします。そもそも、力のある写真家はレビューシステムには乗らず自分で道を切り開いていくだろうし、国内のコンペなどからギャラリーなどが総じて抱え込み売り出す作家もいるでしょう。直接海外コンペに踏み出して羽ばたく人もいると思います。ポートフォリオレビューにチャンスを求める作家はある意味で限られていて、いずれいい作家が不在になるだろう、という予測はずっと以前からありました。ポートフォリオレビュー界隈に写真家を集めるためには、レビューが成果を出し続け、名前の大きな海外レビュワー(魅力的なプロジェクト)を揃える必要があるわけですが、作家、レビュー、システムすべてがあるレベルで機能しないと、いい作家を集め世界に届けることなどできるわけがありません。運営サイドにとってもこれらの悩みがあるばかりでなく、財政的圧力も大きいため、ポートフォリオレビューを開催することが必ずしもいいと感じているわけではなく、むしろ闇雲にレビューを続けてもあまり意味がないように感じはじめています。六甲山国際写真祭が高名なレビュワー(プロジェクト)ではなくどちらかというと教育的な専門家や写真祭イベントを呼んでいるのは、作家とプロジェクトの間を埋めやすいからです。実現しにくい大きなプロジェクトよりも、手が届きやすく経験値を上げられるプロジェクトを呼んでいるのも、こういった現実や予想を踏まえてのことです。

では、作家は準備が整った結果としてこういう場に参加するべきなのでしょうか。答えはその通りでもあり、その通りではないとも言えます。つまり、国内には写真家として教育を受けたりチャンスを掴む場所があまりにも少ないという実態もあるのだと思います。その結果、ポートフォリオレビューに対する誤解が生じているということもあるのかもしれません。本来、ポートフォリオレビューは作品に対する感想を求めたり、準備が整ったかどうかを誰かに判断してもらうためのものではありません。不幸なことに、この国には写真家の準備が整ったかどうか判断して世に送り出したり、留めたりするシステムはありません。写真賞やレビューの一部、ギャラリーなどがその一端を担っているだけで、チャンスが少ないばかりか系統的なアート教育を担う機関などはほぼありません。アンケートでも、高いアート教育を受けた人は回答者180名全体の7%以下、Review Santa Feなどでこれまで出会った写真家のアートなどの学位保有者が75%を超えるアメリカの実態とはあまりにもかけ離れています。準備を整えるためには自学自習ではまず絶対に学べない表現やストーリーの組み立て、編集の大切さを豊富な経験のある指導者に教えを請うべきですが、経験豊富な指導者もおそらく国内にはわずかしかいないでしょう。先に行なったアンケートでも、自身が優れた写真家になれると信じている方が非常に多かったのですが、一方で同じ回答者が教育のなさを問題とし、どう表現すればいいのか悩んでいる実態も明らかになりました。この矛盾したアンケート結果が国内の写真全体の雰囲気を作り出していることは明らかです。

事前審査の応募状況をみて、今年の写真祭では、従来の1対1、20分のポートフォリオレビューは行わないことにしました。今年は例年より少ない20名の国内写真家と10名余の海外写真家がレビューを受けますが、無理に進めてもチャンスが訪れないばかりか写真家、レビュワーの双方を疲れさせてしまうでしょう。そこで、レビューよりもグループワークなどの方法でレビュワーと写真家が交流し学びを得られる全く別の場を作ろうと考えています。

さて、それでは事前審査に通らなかった写真家たちは一体どのように再挑戦をすればいいのでしょうか。僕は、それはもう猛烈に勉強するしかない、と答えます。教育を受けていない人たちは、教育を受けている人たちより明らかにスタートラインが後方にあります。その間を埋めるためには闇雲にチャンスを求めるより、系統的な教育を行なっているワークショップなどを探してアートの理解を深める必要があると思います。六甲山国際写真祭でも、上記の実態を踏まえ、附属のMirage Galleryと東京で系統的なアートの基礎、表現を学べるワークショップを順次開催予定です。これらはいくつかの世界的なワークショップからシステムごと呼び込んで、国内向きに調整して始めます。とにかく知識を蓄え、他者に作品を見せ、そのフィードバックから作品を作りこまないとチャンスはないと思います。逆に、系統的な知識の集積、社会問題への視点、フィールドワーク、ストーリーテリングの手法、コミュニケーション能力の開発、オリジナリティーを意識して写真に取り組むなら、チャンスを掴むことはさほど難しいことではないと思います。

来年度以降の六甲山国際写真祭は、おそらくこれまでの写真祭とは全く異なったワークショップ中心の写真祭にシフトすると思います。ポートフォリオレビューについては今年のレビューの状況を踏まえて存続させるか廃止するか慎重に検討しようと考えています。もちろん、系統的な教育に参加してくる写真家には、最大限のチャンスがあるような仕組みも検討します。

(イメージは、現在準備中の写真教育教材”I am Steven”の1ページです。システムとしての教育にサポートされた左と、教育のない状況から他者を押しのけて上ぼらなければならない右との状況の違いを示しています)

 

By | 2017-07-03T18:21:47+00:00 6月 8th, 2017|Categories: 2017, Mirage Gallery, Mt.ROKKO, NEWS, Organization|事前審査講評 はコメントを受け付けていません。

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