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Shenzhen International Urban Image Festivalに来ています

By | 9月 24th, 2016|2016, Experience, NEWS, Photography, Story|

表題のイメージフェスティバルに参加するために中国深圳に来ています。今回は5名の日本人写真家を紹介するプロジェクトに呼ばれているのですが、今日からスタートし、約1ヶ月続くこのフェスティバルの一部を紹介しようと思います。 深圳は香港のすぐ北側、本土に面して展開する巨大な都市です。深圳は30年ほどの間に恐ろしいスピードと規模で発展した都市とのことで、現時点で世界で最も裕福な都市との表現があるくらい、科学技術を始めとする中国の基幹産業をてこに、中国政府が膨大な資金を投入して作り上げた1200万の人々を抱える近代都市といえる場所です。空には摩天楼がそびえ、道路という道路はとてつもなく広く、公園や街路樹も美しく整備されていて、そこに欧米日本車などの高級車が溢れかえっているメトロポリスです。当然のように豊かな財政と新しい中国の都市生活のスタイルが発展し、アート産業も極めて高いレベルで発展しています。写真に関するものだけでも4つの写真祭を抱え、中国全土のアートマーケットの一翼を担っており、活発な中国の人々の購買欲や、新しいおしゃれな都市の暮らしを満たす消費財として、またコレクターの育成に成功した強大なギャラリーシステムを抱え、国際社会の中国経済への動向への不安とはかけ離れて、ここ深圳ではアートは未だ本格的で健在です。つまり、産官学が一体となってアートというある種の産業を都市構造に埋め込むことに成功している羨むべき構造があるのです。実際、このフェスティバルもその他の写真祭も、主には中央政府や地方政府の資金提供を受けながら発展しているアート祭で、40にも至らない若いキュレーターたちがよどみない語学力をもちいてわんさかプログラムを作っていて、驚くばかりです。僕たちもほぼ中国の国費(あるいは地方政府の資金)で招かれており、食事宿泊渡航費のほぼ全てが運営委員会もち。彼らはタクシーから何もかもネット上で予約し、こちらは一切のストレスを受けないでおまかせとなっています。緊縮予算とだらしない政策、似たり寄ったりのプロジェクトに終始し、どうやっても資金が集まらない我が国のアートプログラムとは異なり、都市とアート、アートと人々、人々と暮らしなどと言ったフレーズなど使わずとも、誰もが良質のアートに触れその恩恵に触れることができるように教育システムが存在し、アートシステムがあり、都市が作られていて、羨ましい限りです。 まだ都市が形成されていない頃の倉庫街をアート特区として整備している深圳OCT地区 もちろん、写真祭自体は新しく、ディレクターも若く、ホームページもなくあちらこちらにほころびもあるのですが、World Press PhotoやMagnum、National Geographic Beijingの若い編集者やアーティストたちがこれから1ヶ月の間、次々とこの地を訪れて写真の祭典を繰り広げるとなると期待せざるをえません。 そんな中国の写真シーンですが、やはりキーとなったのは大きくわけて日本とヨーロッパからの影響だといいます。1990年代には森山大道やアラーキーがこの国の写真家たちに強い影響を与え、その後の中国の写真家たちの道しるべになったといいます。高度成長からはじまった国威の発揚に伴って、より大きなマーケット、アートの中心地であるヨーロッパにでかけていって多くを学んだ写真家のグループもあるとのことです。現在の中国と日本は、政治地政学的にかつていないほどに物々しい状況を生み出してはいるけれど、本質的には東アジアの価値観を共有しているはずで、その点については出会った誰もが日本に対して一目置いているのは面白い発見でした。 日本でもおなじみのMu Ge氏の写真展準備作業。ここは中国最大手の美術出版社のギャラリー。複数階に渡っていくつものギャラリーが連なる。準備をしているのは、なんとアート専門の搬入展示会社のスタッフ。そういう職業があることに驚く。僕が知らなかっただけか   OCTの内部。街ひとブロック全体がギャラリー、カフェ、美術学校などで作られている   ハンガリー人メディアアーティストIstvan Horkay氏のオープニングレセプション。彼の作品はナチズムを取り上げた作品。古い写真をモチーフにして、ドローイングを加えた手数の多い作品。ビデオインスタレーションも素晴らしかった。なんと別作品ではあったけど、サイン入り作品をいただいた。この会場は学校のような施設で、若き中国人アーティストが初キュレーションに挑んだとか。彼はとても誇らしげでいい顔をしていた   WORLD PRESS PHOTOのインスタレーションは、宇宙で暮らす飛行士たちの私生活を、家族と飛行士たちのプラーベートな通信から明らかにする宇宙的スケールの作品。アメリカ人家族とロシア人家族が描かれていて、宇宙開発や文化思想の違いまでが宇宙規模で描かれていた。これはマルチメディア部門コンペで入賞した作品らしい。一番左がキュレーターのポール。本部アムステルダムで活動するWPPの展覧会部門シニアスタッフ   倉庫はとんでもない大きさ。写っている倍以上の面積がある。国内で平面積でこの大きさを探すのは難しいだろう。プロジェクションのために会場で使われる高出力プロジェクターはすべてレンタルだが、期間中600万円以上かかるという。資金のことを聞くと、うん?ああ、政府が払うからね、とのこと   イメージフェスティバルというだけあって、絵画やアニメのプロジェクトも上映されていた   NYで活動するアメリカ人写真家Lois Greenfield氏は、ダンサーを撮らせたらこの人を置いていないというほど有名な写真家。40年の写真のキャリアがあり、プリントもたくさん売れているという   作品は動きを完全にとめた躍動、構図から単光源のライティング、ダンサーの肉体、床からわずかに離れて時間が止まったかのような完璧なイメージ。中判デジタルカメラで撮影され、連写ではなく、完全にワンチャンスをものにした作品。プリントは自分のスタジオで製作している   ボケてしまったけど、香港の著名な俳優で自殺したレスリー・チャンの映画をモチーフにしたインスタレーション。うーん実際の映像はかなりイケてた。手前にレコードプレーヤーがあり、レスリーのダンスに合わせて音楽が流れていた   ゲストキュレーター、というと大げさですが、僕が六甲山国際写真祭の立場で誘いを受けた当の中国人キュレーターWang Xi氏も、すでに昨年から六甲山から誘った日本人のプログラムを仕切っていて、今後さらに関係を深めようとしているのが痛いほど伝わって来ます。彼らからみた現代の日本の写真家は未知のもの、新しい世代の中国人アーティストが日本や世界とつながることと同じように、世界でも通用するはずだと彼らは真剣に考えているのです。昨年は8月の写真祭後、直ちに日本人二人(AbeMoekoさん、NaohikoHoshinoさん)が現地に呼ばれプリントで展覧会が開催されました。要点は、コネクションを作ること、作品にコミュニケーション能力さえあればアートは世界共通の価値観のなかで交換可能なのであり、その点を確認できたことは大きな収穫でした。 話の内容をすべて書くことはできませんが、ハンガリー人の老アーティスト、アメリカ人アーティスト、WPPやNational Geographicの若き編集者たち、おなじみのAngkor Photo FestivalのFrançoise Callier氏などと一日中帯同し、様々な話を聞くことができました。それは写真祭であるとか写真の話にとどまらず、アートの行政だとか、教育だとか、誰かの噂話だとか、本当に写真や写真外に即興でめまぐるしく展開しながら、生きいきと面白い話ばかりが続きます。政治や経済、紛争戦争、難民問題、貧困、テロ、津波、宇宙開発、東アジアの困難、アメリカ大統領戦、神戸の震災、六甲のことなど、本当にさまざまな話題が途切れなく続くのです。中国人アーティストの作品もたくさん見ましたが、このクラスのイベントに参加するとなるとかなりユニークで強いものばかりです。どうやって選ぶのか、という問いに関しては、彼らはネットワークを駆使して膨大なリストを持っていて、世界中に展開する中国人アーティストや注目すべき海外アーティストの活動をつぶさに見ていることがうかがわれます。そして、多くがアートの世界から脱落するのか生き残るのかを時間をかけて見ているのだと思います。早く結果を出したいと願うのは、アーティストにとって世界共通の欲求だと思えるのですが、10年や20年プロジェクトが当たり前という悠久のシステムは、結局のところ良い教育を受け、良い技術トレーニングを受け、マーケットの洗礼を受けて残ったものだけが成功を手にするという当たり前の結果をもたらしているに過ぎないのです。もしうまくいかない場合は?という問いに関しては、"They all went back to work" つまり、夢をあきらめ現実に戻っていったのです。 実は昨夜、今回招待されているゲスト6名のうち3名の部屋で大変な漏水騒ぎがあり、今朝の話題はこの話から始まりました。真夜中の2時に水道管が破裂してその部屋が冠水したばかりでなく、階下の部屋にまで水が漏れだして大騒ぎだったらしいですが、僕の部屋は別のブロックだったため全く気がつかずに朝その話を聞いて驚きました。しかし、おそらく今回寝食を共にしたメンバーはこのことを決して忘れないと思います。 深圳を訪れ、六甲山国際写真祭主催者として何かを学んだかと問われたら、やはり世界は広く、写真は広大で、チャンスはあるが道のりは厳しいということ。日本と世界、という分けへだてる物言いは何に関しても言われすぎて辟易する昨今ですが、実際にこうして世界を見に出てこないことには世界で何が起こっているのかを見ることはできないわけで、日本の写真家たちが最近ものすごい勢いで増えている写真のレビューやWSなんかにあちこちお金をはたいて参加してみたところで、小さな窓を通じて世界につながった気分でいるということそのものはさほど意味がないのかもしれないと感じました。それらは与えられる情報であって、経験し獲得するものとは明らかに違います。六甲で圧倒されて衝撃を受ける衝撃が1だとすれば、海外に出かけて自分の目で体験し知ることの大きさはその数倍はあると思います。中国にはあちらこちらに写真祭があり、宿泊も渡航費もとても安い場所もあるので、一度訪れてみることを勧めます。中国に限った話ではないですね。アルルでも、パリでも、ペナン、シンガポール、アンコール、マレーシアどこの国に出かけても、学びの質や量は計り知れないくらい大きいはずです。  

萩原義弘さんの講義

By | 4月 15th, 2016|2016, Experience, Mt.ROKKO, RAIEC, Story, Workshop|

3331で開催された写真コミュニケーションワークショップでは、"SNOWY"で知られる萩原義弘さんに講義をしていただきました。これまで様々な写真家と知り合ってきましたが、写真のプロジェクトの話を伺ってこの人ほどプロジェクトの話ができる人はいないんじゃないかなと考えての依頼でした。それはヴィジュアルなアーティスティックな点と、社会的な視点、教育的な視点とをすべてを併せ持っていて、これからプロジェクトを作っていこうとする方達には大変参考になると思います。 写真はクラシック、モノクロのスクエア、ハッセルブラッドのノッチがわずかに見える正統派の写真です。ただ、そこにはプロジェクトのきっかけである1981年に発生した夕張炭鉱事件から始まり、炭鉱労働者の悲哀、町と人々との関わり、産業の衰退、産業そのものの構造的問題点など、様々な要素を含みながら発展していきます。新聞社の記者という視点も忘れることはできませんが、学生時代に写真を撮りに出かけたという夕張がいかに一人の写真家の人生を決定付けたか、というストーリーは、現代の写真のスタイルとは異なり、かなりストイックです。35年もの間、夕張を起点に発展的展開はあるにせよ一つの素材を追求していく姿勢はなかなかとれるものではありません。 写真を評価する側にいると、写真の掘り下げ方が足りない写真家が多いことに気づきます。良いプロジェクトというのは、主題をもつ音楽のように展開し、絡み合い、また主題に戻ってきます。そういうプロジェクトをレビューで見かけることはほとんどありません。これからの写真は、いわゆるビジュアルコミュニケーションという視点がかならず必要になってきます。それはその作品群を系統的に見せることによって、オーディエンスに社会への気づきをもたらし、オーディエンスが何らかのアクションを起こすということ意味するのですが、そのためにはテーマの掘り下げが必要なのです。 あまり知られていないことですが、萩原さんの写真は2013年には某仏最高級ファッションブランドの秋冬もののカタログに8ページにわたり掲載されるなど(その前号に掲載されたラルティーグなどと同列に!)、たゆまぬ努力の結果が着実に実を結んでいる写真家の一人と言えます。現在は日大の写真学科で講義をされており、参加者の写真の可能性について的確なアドバイスをしていただきました。 そんな裏話なども紹介されて、大変有意義な講義でした。  

写真コミュニケーションワークショップで起こったこと

By | 4月 10th, 2016|2016, Experience, Mt.ROKKO, Organization, Portfolio Review, Story, Workshop|

それは言ってみればMagicなのだと思います。 Magic-① 魔法。奇術。手品。「トランプの―が得意だ」② 不思議な力のある意で,多く他の外来語と複合して用いられる。③ マジック-ナンバーの略。④ マジック-インキの略。 とりとめのない作品を、手品をつかって何段も何段も上げていくのがこのワークショップの仕組みです。それは魔法と呼んでもいいし、奇術と呼んでもいい。とにかく、それは一旦は研ぎ澄まされ、解体され、余計なものを剥ぎ取られて、作家にとってもっとも使いたい言葉を含みながら美しい言葉に言語化されていく作業なのです。それが複製可能なヴィジュアルプロジェクトに命を吹き込んでいく現代のロジックなのです。 日本人の書くステートメントは、かなり問題があります。回りくどいか、意味不明か、そもそも文章ですらない。なので作品はどこにも、誰に対しても、自分自身に対してですら意味をなさない。もちろん、そこが明確化された萩原さんのような大人なプロフェッショナルは確かにいるだろう。しかし、僕が見るところの多くのプロジェクトは、実のところまだプロジェクトですらない。それは習作にすぎず、ただそこに意味もなく横たわっているだけなのです。それは、アイデアがあっても、アイデアを表に引き出しプロジェクトの根幹をなすべき筋の通った言葉が足りていないからだと思います。 と書くとかなり後ろ向きな、炎上しそうな考えなのかもしれませんが、そこに僕たちはMagicを使うのです。正確な、誠実なプロット、弱々しいことを逆手に取るレトリック。シナリオと絵コンテで映画を完成させていくような、場面場面をつなぐ糊のような形容詞、副詞、動詞をつかう。たったそれだけで、Magicは確かに完成するのです。 ではMagicはどこにある?今日、多くの人はMagicを目撃したと思う。   今日はまた、写真のバックヤードの話を野元さんがやってくれた。誰がアートを仕切っているか、というPower 100の話。そしてモチーフ、テーマの上にあるべき根源的な制作欲求、本質。そして、Powerに近づくために必要なつながり。 ではつながりはどこにある?今日、参加者は繋がりを通じてしかPowerに近づけないことを知ったと思う。パワーというのはすなわちお金であるし、より高い場所にある目標です。閉じたアートワールドで活動することで満足する人たちも確かにいるだろう。しかし、それはアートか?といつも自分自身に問いかけている必要があります。僕は違うと思う。アートは常に食指をたえず上にうえに伸ばして勝ち取るべきものなのです。その行動をとったものがアーティストなのです。              

展覧会「境界線を越えて」大阪ニコンサロンにて/後編

By | 2月 16th, 2016|2016, Experience, NEWS, Story|

前編/http://rokkophotofestival.com/blog/?p=12533 石井さんの作品について 杉山:石井さんの作品は、言うまでもなく日常的に町や町の人々に混じって鹿が闊歩する光景を収めた写真です。犬や猫であれば生活の中に馴染む見慣れた風景も、石井さんにとっては驚くべき光景だったということが撮影を始めたきっかけだったのです。普段であればあまり意識しない「鹿」という存在が、写真の中では生き生きととらえられていて、私たちにとっての鹿と町、人々との思わぬ関わりを知らせてくれる非常に見応えのある写真シリーズに仕上がってきたわけです。 そのことを知ったのは、2013年に初開催した六甲山国際写真祭のポートフォリオレビューに参加された時でした。それまでも、またそこからさらに努力を重ねて写真を撮影し続け、現在の展覧会につながってきたわけです。       写真は基本的にドキュメンタリー、ジャーナリズムの手法を取っていて、感情的な要素、あるいは恣意的なアートの要素を可能な限り排除していることがわかります。目の前で繰り広げられる鹿の様子を正直に、端的に見せることの方が、アートのような要素を加えるより、鹿と町、人々とのつながりの実態をうまく伝えられると考えたからにほからないないでしょう。また、ジャーナリズムの手法でもっとも大切なことは、情報の正確さ、幅を得るために、現場にもどって撮影を続けることです。石井さんは、雨の日も、風の日も、暑い日も寒い日も、時間があれば泊りがけで奈良公園やその周辺に取材し、本当に膨大な量の鹿の生態の記録を取り続けてきました。 その後、何度かお目にかかるうちに、その努力の結果が次第に明らかになってきました。作品は、奈良や宮島での生態だけではなく、シビエ食や、いわゆる鹿害といわれるものへと拡張されていったのです。こうやって、石井さんは自他共に、また名実ともに「鹿写真家」を名乗るようになりました。もはや日本で鹿を撮らせたら右に出るものはいないことは間違いがないことです。そしてその努力は色々な方面で認められつつあります。まず、一昨年2014年に六甲山国際写真祭のレビューワーとして招いたアンコール・フォト・フェスティバルのフランソーワーズ・キャリエ女史に認められ、その年の12月、カンボジアでスライドショー作家に選抜されました。また、しかしか写真集出版、ニコンサロンでの展覧会と、次第にその活動が認められてきています。   石井:まず、「鹿写真家」として認知していただくことが大事だと思いました。アートなのかドキュメンタリーなのか悩んだ時期もありましたが、ファインアートではないけれど、人に影響を与えることはアートじゃないか?と思いました。 今回、仲よくさせていただいている土産物店(よく鹿が遊びにくる物産店)の方に写真集をお見せしたのですが、もう見かけなくなってしまった鹿たちが写真集に入っていることをとても喜んでくれ、涙してくれました。記録するということも大事だなと思いました。 石井:今回の展覧会は、奈良、宮島で鹿が街の中を歩いているシリーズでしたが、今後、神の使いとして神社、仏閣に入り込んでいる鹿のシリーズや北海道、九州の鹿、また、人間の都合で害獣として駆除されている鹿についてもまとめたいと思っています。   この展覧会を通じて今後六甲山国際写真祭に参加を検討している人たちへ一言 石井:六甲では海外からとてもレベルの高いレビューワーや写真家が参加する、まさに国際的な写真祭です。また、20分間しか会話の機会がない一般的なポートフォリオレビューとは違い、3日間、寝食を共にして写真のことを熱く語り合うことで、切磋琢磨しあえる作家仲間もできます。まさに、これが写真のコミュニティなんだと思います。私自身にとってもとても大切な場所なので、このコミュニティを守り、さらに発展させていくために私たち作家たちも一緒に貢献していくのが大切だと思いますし、それもまた楽しくやりがいのあることだと思います。   インタビュー/ 尾崎 ゆり 記録写真/  松井 泰憲 投稿者/ オカモト ヨシ    

展覧会「境界線を越えて」大阪ニコンサロンにて/前編

By | 2月 12th, 2016|2016, Experience, NEWS, Story|

第1回、第3回と六甲山国際写真祭のポートフォリオレビューに参加された石井陽子さんの展覧会「境界線を越えて」が銀座ニコンサロンと大阪ニコンサロンで開催されました。   大阪ニコンサロンに踏み込むと、たくさんの鹿の情景。これだけの力作を展示するとなると大変なご苦労と時間と努力(コストも)があっただろうなぁととても感銘しました。 奈良と宮島の鹿の展示でしたが、奈良の写真は鹿たちが夜眠る森から春日大社への朝の出勤風景だという話や宮島の写真は海に鹿がいるという情景の面白さと、宮島の鹿は夜も活動しているので不良の鹿が撮れるという面白いお話がありました。また、鹿を撮る際の苦労話や杉山氏をはじめ、いろいろな出会い、今後の事など、石井陽子さんとディレクターの杉山氏とのトークショーをレポートいたします。   なぜ「鹿」? 石井: 2012年3月に仕事で奈良に出張しました。せっかくなので、朝早く写真を撮りにいったら、道路の真ん中に鹿のカップルがいて、人がいなくなった廃墟に鹿がいるというようなイメージが見えた気がして鹿を撮り始めました。 。その頃は震災の後で世の中が暗く、御苗場で出展したときも福島のはぐれ牛と重ねて見る方が多かったです。普通の街の風景と違う風景が見えるのがとても魅力的でした。   杉山さんとの出会いと今回のトークショーへの心境 杉山:「鹿写真家」として認知され、自費出版ではなく企画物としてリトルモアから写真集「しかしか」を出版し、今回ニコンサロンでの展覧展となったことを非常に喜んでいます。 石井さんと初めてお会いしたのは2012年9月23日に三鷹で開催された小さな写真イベントでレビューをした時にお目にかかったことがきっかけだったと記憶しています。 その頃、ギャラリーとしてアート写真を主に取り上げていた関係もあって、石井さんの作品に関してあまり興味を持てず、いい評価を伝えることができなかったのをよく憶えています。   石井: その時お見せしたのは、奈良の鹿とインドネシアのバリ島で撮った鹿の写真でしたが、まったく興味を持っていただけなくてがっかりしたことをよく覚えています。 2 度目にお会いしたのは2013年8月1日に渋谷で開催されたフォトラウンジの時です。杉山さんはその年の11月に開催することになっていた第1回の六甲山国際写真祭の紹介をプレゼンされて、私は奈良と宮島の鹿のシリーズをプレゼンしました。この時に、六甲のポートフォリオレビューの事前審査を受けてみたら?と杉山さんに勧められて、「あ、少し鹿プロジェクトを認めてくれたのかも」とすごく嬉しく思いました。審査に通って、2013年11月に第1回の六甲で写真合宿ともいうべき濃密な時間を過ごしてからは、杉山さんは私の中で最も大切な評価者の一人になっています。   杉山: 彼女の活動はFacebook等でずっと見ていました。会っていない間にも、ものすごい量の写真と撮ってきて、奈良へ撮影に来るたびに神戸のTANTO TEMPOにも来てくれました。「鹿」という概念が覆され、いいシリーズになるんじゃないか?と思い、六甲国際写真祭への参加を託しました。彼女が目指しているものが見えるようになりました。   石井: 杉山さんには、作家として真摯に作品作りをしていないとすぐに見抜かれてしまうので、いつも緊張していますし、それだけに認めてもらった時の喜びはすごく大きいです。なので、今回、トークショーへの出演を受けていただいたのはとても光栄で、格別の嬉しさがあります。 今にして思うと、初対面の後で「あ、この人は私の作品に興味ないんだ」って決めつけて、その後話しかけなかったら、今の自分はこうしていないわけで、縁をはぐくんでいくのが大事なんだなって思います。   六甲山国際写真祭から展示・出版までの道のり 石井: 鹿シリーズは、海外での評価のほうが早かったんです。第1回の六甲国際写真祭でお会いしたイトウツヨシさんが主宰するオンワード・コンペに応募してファイナリストになったのが2014年2月で、同じく2014年の4月に開催された六甲の東京サテライトイベントの展示で後藤由美さんに出会ってマレーシアのオブスキュラ・フェスティバル・オブ・フォトグラフィーでの展示の機会をいただき、2014年8月の2 年目の六甲で出会ったフランソワーズ・キャリエさんのセレクトで同年12 月にアンコール・フォトフェスティバルでスライドショー上映していただきました。このころから、Lens Culture やFeature Shoot、Wired.com、The Independent など海外のWEB サイトや新聞に連鎖反応的に紹介されるようになりました。 昨年1月から3月にかけて開催されたタカザワケンジさんの「ゼロから作る写真集づくり」というワークショップでポートフォリオを組んだのですが、この講座が終わる時にタカザワさんから、「じゃ、これを持ってリトルモアに行ってみましょうか」とご紹介いただいて、写真集の出版が決まりました。せっかく本が出るのだから、出版のタイミングでどこかで展示ができたらいいなと思って、ニコンサロンに応募したところ、審査に通って初個展を開催できることになりました。     インタビュー/ 尾崎 ゆり 記録写真/  松井 泰憲   投稿者/ オカモト ヨシ

Photo Lucida Critical Mass 2015の審査を終えて

By | 11月 12th, 2015|2015, Story|

Photo Lucida TOP50が発表されました。色々考えさせられる審査だったし、結果にはとても納得のいく顔ぶれが並んでいます。 200名から50名に絞り込むところで僕も審査に参加しましたが、有力だと考えて選んだ40名弱の高得点グループのうち実に23名がTOP50に選ばれていました。ということは、審査の傾向に僕の目は追随できていたということもあると思いますが、その傾向が世界的にはっきりしていて世界中の審査員の写真を選ぶ視点がちゃんと傾向としてあるということでもあります。 僕の審査基準を少し書いておくと、以下のような作品は落としています。 美しくないと感じられる作品 人類・社会共通のテーマが描かれていない スケール感がない さすがにTOP200に絞り込まれた段階でこういう作品は少なく、僕がはじいたのは7名のみでした。 次に、審査上重要な作品だと感じられる基準を書いておくと、 美しい作品 パーソナルなものは強く、作品を作る上で合理的な新しい装置を有していて、家族や地域社会の絆、逆に社会からの孤立といった普遍的で客観的に評価できるポイントが含まれている 風景写真として何らかの社会問題に迫れていて、普遍性がある 壮大なスケールがあり、知らない世界を見せてくれ、新たな発見をもたらしてくれる などを考えながら選びました。 パーソナルな、あるいは身近な素材を使って撮影した作品は相変わらず多く、全体の60%は何らかの形でパーソナルなものでした。新しい装置、ということを説明するのは容易ではありませんが、要するに自分の所属する小さな単位であってもその社会単位において自分が何を感じ、何をつながり、あるいは疏外と感じているのかが明確に描かれており、多少強引であってもその描き方が新しいものは高得点になる、という感じだと思います。具体的には、例えば家族と過ごした場所の現在と過去の家族写真とを合成していたり、生活の苦しみの救いのなさが登場人物の表情ににじみ出るように描かれている作品だが、それが光源やロケーションであくまで淡々と美しく描かれているというような作品です。ただ、あまりにも内向きな作品となると、うんすごい、というリアクションにつながらず、評価を落としてしまう可能性もあると感じられました。 風景写真は、ただ風景があるような写真は皆無。社会的要素、例えば汚染など環境問題、人権などにインスパイアされたと一目でわかるような作品、しかもやはり汚染されていても美しく描かれているということは重要なポイントなんだと思います。 僕はあまり興味を抱きませんでしたが、抽象的な作品もいくつか入賞していました。一目見て意味がわからない作品は結局テキストを読む他に理解する方法がなく、例えばイメージを二つ並べて関連づけるような作品は、ほとんどの場合テキストに依存してしまうので僕なんかは苦手なのですが、TOP50には4名の作品が選ばれていました。 ちなみに、TOP50のうち12名はすでにReview Santa FeやMt.ROKKO INTERNATIONAL PHOTO FESTIVAL、Angkor Photo Festivalなどで見た顔ぶれです。そういう枠組みに出てくる人たちは積極的で前向きで、アイデアが強く自分のシリーズに自信があることが背景にあると思います。また、最も古いシリーズを出している作家たちは、過去3年間以上もの間、僕自身がどこかの写真の枠組みで目撃してきた人たちです。とすると、やはりコンテクストがしっかりしている流されない作品、時代の流れに同期しその時代との親和性を失っていない作品、作品の持つ作り方かテクスチャーが早すぎたがようやく時代が追いついてきた作品であると言えると思います。 全体を通して感じた大切なポイントは、もし写真家として上を目指し続けたいのであればこういった優れたコンペに参加したり、サイトをじっくりと眺めて写真の傾向を学ぶことだと思います。さらに、優れた作品の装置を読み解き、良い点と悪い点とを比較検討することができる観察眼を持つことも重要です。僕などが審査で眺めている視線というものは特別な能力だとは思いません。誰もがおそらく世界中の審査員と同じような視点で作品を見ることができるはずです。特に、何が優れているのかを見る能力は、何が優れていないのかを探す能力よりも簡単に身につくものだと思います。 加えて、作品にわたるストーリーはTOP50ともなると本当に練ってあるように感じます。また技術も、ファインダーからイメージを切り取る構図の一つにしても、入念に計算されている作品が強い光を放っていたと思います。優れた作家は、より美しい作品を作るために必要なあらゆる努力を払っていることに気づかされます。 どうすればより優れた作品として受け容れられるものを作れるのか。こういうコンペに出てくる優れたアイデアは、やはりある種センスと特異な感覚、そして誰よりも目立って誰よりも強い作品を作りたいと思う強い意志が必要なのです。 http://www.photolucida.org/critical-mass/top-50/

International Urban Photo Image @ Shenzhen Futian に参加して/星野尚彦

By | 11月 10th, 2015|2015, Experience, NEWS, Story|

六甲山国際写真祭2015のポートフォリオレビューに参加した星野尚彦です。 深圳(Shenzhen)、香港の直ぐ北にある大陸。 まだ街ができて30年という若い街だが東京と同じくらいの人々が暮らしている。そして想像以上に美しい街並みの大都会。 その深圳市福田区(Futian)主催の写真祭が2015.10.16~26で開催された。     六甲山国際写真祭で写真をレビューしていただいたWang Xiさんからお誘いを受けて、同じく六甲山国際写真祭のレビューイであった阿部萌子さんと共に参加してきました。 中国での写真祭はwebにもほとんど情報あがっておらず、雰囲気さえ良く分からぬままでの参加です。 その上、展示する写真をサーバー上で送信、現地でプリント、そしてぶっつけ本番での展示であり、仕上がりのクオリティに不安を抱えたまま機上の人となりました。   このフォトフェスティバルはまだ歴史も浅く、かなりの突貫作業での開催と伺っていたのですが、会場も幾つかに分かれていてずいぶん大規模に展開している印象でした。 対日抗戦70年ということもあり、これにまつわる展示もあって日本人として避けて通れないものがありました。とは言え、Wang Xiさんはじめフォトフェスティバルディレクター、深圳市福田区長、参加されている中国人写真家の方々、皆さんとてもフレンドリーで楽しい時間を共有できたことは嬉しい収穫です。       私たちの展示はArtron Galleryと言うかなり大きな会場でした。 この会場は作家別の展示がされており、メインは中国ドキュメンタリーフォトの第一人者と言われているHou Dengke(1950-2003) 「麦客」。中国の農民を中心に、市井の人々を撮影された見応えのあるスナップショット。 そしてHenri Cartier-Bresson , Robert Capa , August Sander , Jerry Uelsmann と歴史的写真家が並び、それに続いて私たち日本人写真家などの海外写真家、現代中国で活動されている写真家の展示となっています。また中国の古写真の展示もあり興味深いものでした。   プリントクオリティ、展示方法などは少々荒っぽいところも散見されましたが、広く美しい会場でかなりのスペースを頂戴し、かの巨匠たちに続けて展示されていることが写真家として何より誇らしいことだと感じました。 そして今後自分が写真家としてどのように活動するべきかを考え、語り合える貴重な時間にもなりました。   私は30年に渡り広告写真やCFを撮り続け、その傍らで作品を制作してきました。 そして自分の作品がどのような立ち位置いるのかを客観的に評価してもらいたくて、 初めてポートフォリオレビューに参加してみました。 そしてここ六甲山には自分がポートフォリオレビュー参加するに当たって密かに願っていた 世界への扉が、このような形で開いているとは!! 自分の作品が展示されたギャラリーに立った時、「自らその扉をノックしてみると本当に世界へ続く扉は開くんだ!」 と強く思った瞬間でした。   ホシノ★カメラ/星野尚彦web   http://www.hoshinocamera.com/         投稿者/オカモト ヨシ  

六甲山国際写真祭2015アフターリポート『真剣に写真に取り組む写真家たちのための、密度が濃いアットホームな写真祭』後編 /林典子

By | 10月 16th, 2015|2015, Experience, Mt.ROKKO, NEWS, Story|

林典子さん『真剣に写真に取り組む写真家たちのための、密度が濃いアットホームな写真祭』後編 です   前編はこちらから http://rokkophotofestival.com/blog/?p=12399   私はこれまで行ったことのある国外の写真祭はフランスのペルピニャンとカンボジアのアンコール・フォト・フェスティバルの2つだけです。 が少ないので比べるのは難しいのですが、六甲山国際写真祭はただ様子を見に来たというよりも、写真家の写真祭に参加する目的意志がはっきりしていて、写真家それぞれが自身の作品を高めるためのアイデアやヒントを探そうとされている方が多いような印象を持ちました。 小規模ではありますが、だからこそ写真家と写真家、写真家とレビュワーが密接に接することの出来る、質の高い写真祭になっているのだと思いますし、今後もこのような方向でずっと続いていってほしいなと思いました。 私は普段東京をベースに活動をしていますが、写真家同士のグループに所属したり他の写真家の方たちから写真について意見をもらったりという機会が滅多にありません。そのため六甲山での特にポートフォリオレビューの様子を眺めながら、こんなにたくさんの私と同じ日本人の写真家の方たちが写真活動をされているということと、その中で素晴らしい作品をたくさん目にして、とても刺激を受けました。 心残りなのは、今回どうしてもタイミング悪く海外での取材と重なってしまい、最後の1日半を残して神戸を出発しなければならなかったことが本当に悔しく、残念でした。 今取り組んでいるテーマの写真もある程度まとまってきたらいつかレビューという形で見ていただきたいなと思います。 また8月28日の夜に行われたナイトセッションで7名ほどの参加写真家の方たちや写真家のSILKE GONDOLFさんとテーブルを囲んでジャーナリズムについて自由に積極的に意見を出し合ったり質問をしたりといった時間がありました。 最後は時間が足りないくらいで、個人的にはもっともっと意見を言い合えたらなと思いました。 全体を通して写真に本当に真剣に取り組んでいる写真家たちによって作り上げられてきている密度の濃い写真祭でありながら、とてもアットホームな雰囲気なのが私にとっては居心地が良かったです。 日本だけで活動をしていると、言語のハンデもあるのかもしれませんが、海外の写真コミュニティーからは孤立したような印象を受けます。それはそれでいいという意見もあるかもしれませんが、私はもっとグローバルな視点が日本に根付き、国内外で作品を発表する機会が日本人写真家の中で増えて行くことを願っています。そのために六甲山国際写真祭が存在していると思いますし、ここで築かれたコミュニティーを大切にしていきたいとレポートを書きながら改めて思いました。   New bride Dinara, 22, takes a break from her house work in the kitchen during her week-long wedding party. Dinara was kidnapped by her husband Ahmat. After resisting for 5 hours, she finally accepted. “I had a plan to move to Turkey next year to work for computer company. My dream was to live in a city… I [...]

六甲山国際写真祭2015アフターリポート『真剣に写真に取り組む写真家たちのための、密度が濃いアットホームな写真祭』前編 /林典子

By | 10月 12th, 2015|2015, Experience, Mt.ROKKO, NEWS, Story, 未分類|

六甲山国際写真祭にゲスト写真家として参加させていただきました、林典子です。この写真祭は、海外からの著名なレビュワーによるポートフォリオレビューや国内外の写真作家たちとじっくりと写真について意見交換をすることが出来る、とても貴重な機会であるにも関わらず、私自身が今回参加するまでこの写真祭について全く無知であったことが本当に勿体なかったです。 今回、六甲山国際写真祭で写真展のお誘いをいただいた時に、「この写真祭はアートやメディアとしての写真を社会に繋ぎ、さらに世界と日本の社会を繋ぎ、写真家が取り組んでいるプロジェクトを通して人々が世界の現状に目を向けてディスカッションを始めるきっかけしてもらいたい、、、」こういった目的があると伺いしました。それなりに平和な国で暮らす私たちの日々とは遠い地域で起きている問題をあえて直視する必要がないという日本の風潮や社会問題を扱った作品が敬遠されがちな日本の写真界の中で、パーソナルな作品やよりアート性の高い写真作品と同じように、よりジャーナリスティックな視点で社会問題を切り取った私の作品も丁寧に取り上げていただいたことを本当に感謝しています。 今回の写真祭で2012年から14年まで取材をした「Ala Kachuuキルギスの誘拐結婚」の展示をしていただきました。写真祭のオープニングに合わせて行われたトークイベントで、この問題についての私の思い、取材中のエピソードなどをお話しました。 中央アジアのキルギスでは、合意なく女性を奪い去り結婚をするAla Kachuu (アラ・カチュー 直訳では『奪って去る』)が横行し、地元の人権団体によると毎年1万人ほどの女性が被害にあっていると言われています。(Ala Kachuuについての詳細は、こちらを読んでいただけたらと思います→ (http://rokkophotofestival.com/blog/?page_id=11937)。   トークイベントでは、私が取材中にこの問題にどう向き合うべきか悩みながら撮影をしていたということについて主にお話をしました。その一つがAla Kachuuを「人権問題」としての問題提起を目的に伝えるか、それとも「文化紹介」として伝えるかということです。取材当初は、Ala Kachuuは女性に対する人権侵害という意識で取材を開始したのですが、取材を進めていくにつれ、かつてAla Kachuuで結婚をした結果幸せに暮らしている夫婦に多く出会ったこと、女性を誘拐したことのある男性たちと話をしても、ほぼ全員が実に常識があり、温かい人間的な方たちだったということもあり、取材を初めて2ヶ月後あたりから この問題を「人権問題」として伝えるべきなのか、それとも否定も肯定もせずに「キルギスの文化」として伝えるべきなのか悩むようになっていきました。 結果的に私は「人権侵害」としてこの問題を伝えることにしましたが、発表後は多くの方たちから、 日本人としての価値観を元に他国の「文化」を否定するのはおかしいという意見がありました。しかし、私が取材を通して「人権侵害」と結論付けたのは、女性の合意ないAla Kachuuはキルギスでも違法であること、決して伝統ではないこと、 婚約者がいるにもかかわらず誘拐され自殺に追い込まれた女性たちの遺族の苦しみを知ったこと、そして誘拐され今は幸せに暮らしている女性たちの多くが自分の娘にはAla Kachuuを経験しないで欲しいと話していたことなどが理由です。ただ写真展や写真集として発表させていただく際には、見ていただく方々に私の考えを押し付けるような編集(写真の選択や並べ方)の仕方ではなく、「文化」とも「人権侵害」と考えられている、このAla Kachuuの複雑さを複雑なままに伝える編集をするようにしています。そうすることで、私の写真をきっかけに、この問題についてのディスカッションを促せたらという想いがあります。 そして、もう一つ伝えたかったことは合意のないAla Kachuuは人権侵害であるということについての私の立場は変わらないのですが、誘拐された後に結婚した女性たちのことをセンセーショナルに伝えたくなかった、そして私の感情的にならず冷静な視点でこの問題を伝えたかったということです。日本語で「誘拐結婚」と訳されるとどうしてもセンセーショナルに聞こえてしまい、どちらかというとニュース的な誘拐される場面の写真ばかりが注目されてきたことを残念に思っていました。誘拐された瞬間に女性たちの人生が終わるわけではないからです。取材を通して、誘拐されたばかりのある一人の女性の結婚式に立ち会う機会がありました。その後に彼女が試行錯誤しながらもどうやって新しい村の家庭に入っていったのか、その1年半後には彼女が母親になる瞬間にも立ち会いました。彼女をずっと取材して感じたのは、突然見知らぬ土地に嫁ぐことになった若い女性が、今は近所付き合いも家事もそつなくこなし、この村でずっと生きていくことを受け止め、思い描いていた未来を奪われても、必ずここで幸せになってみせるというというような覚悟さえ感じたことです。私が切り取ったのは彼女の人生のほんの一部にすぎません。彼女が母親になった時に、これからの彼女の人生も見続けていきたいと改めて思いました 。   このトークイベントでは同時通訳をお願いしていたのですが、とても驚いたのは私のトークの直前に少しだけお話をさせていただいた、通訳の方がすでにAla Kachuu について事前に調べていただいていて、私が過去に行った別のトークイベントの映像などもネットで確認し、取材した女性たちの名前まで事前に把握されていたことです。誤解なく伝えられるようにとそこまで準備していただいて、とても有り難いなと思いました。また、トーク終了後、日本人の写真家の方たちの中で個人的に質問をしてくれる方が多く、素直にとても嬉しかったです。       投稿者/オカモト ヨシ

「レビュー後に得たもの」/ 斎藤涼介

By | 7月 27th, 2015|2015, Story|

2014年 六甲山国際写真祭のポートフォリオレビューに参加させて頂いた斎藤涼介と申します。 写真はコミュニケーションツールであり、展示をしないと作品は成り立たないという事実に遅ま きながら気づいた事と、今回の作品が社会性のあるテーマを取り扱ったものの為フォトフェスな どパブリックスペースで展示をする事が一番効果的だと考え、その機会を得る為にレビューに参加 致しました。 結果としては残念ながら具体的な話しにはなっていませんが、作品力があればその後の発展性 を持てる、レビューアーに多様性がある日本では数少ないレビューだと感じています。 作品は1枚全体で横25m以上あり、レビューには一部分をロール紙にプリントして5m x 70cm サイズで2枚10m分を持って行きました。この作品を作るに至った経緯をblogに書いて欲しいと いうご要望を頂いたので簡単ですが紹介させて頂きます。 今回の作品のテーマは、実は自分たちが思っているほど自分たちは自由ではないのではないかと いう疑問です。 子供の頃から集団行動が苦手で、ラジオ体操とか坊主で野球とか勘弁してくれと言いながらそ のまま順調にひねくれて育ち、その後19歳から25歳までバックパッキングでいろいろと旅行をし ていました。写真もその間に始めています。なんとか簡単な英語は話せても日本語で考えている以 上当たり前に典型的日本人のマインドセットですので、芯も軸の無く立ち位置があやふやなまま常 に外部に憧れ、同時に日本的な全体主義に反発し、くらーい眼差でもんもんとニーチェとかフロ イトとか読みながら藤原新也の真似事してた訳です。なんて残念な青春時代なのでしょう(笑 お陰様で本で読み知り旅行中に垣間見た憧れとしてのヨーロッパ的な近代的自我のあり方と、 ヒマラヤ辺りにいると考えざるを得ない東洋仏教的な無我というあり方との狭間で行ったり来た り、どっちつかずなまま今に至ります。 ここ10年程、仕事ではフリーランスとして商業写真と映像を撮っていますが、独立してからは 作品を作る事も稀で作ったとしても仕事の営業用のものばかり、写真を通して伝えたい事も無く、 私写真が大嫌いという事もあってプライベートで作品を作りそれを発表したいという願望は最近 まで殆どありませんでした。また人に見せる事に寄るその先の広がりを想像出来ていなかった事 もあって展示の経験は今まで殆どありません。しかしながらキャリアが進むにつれ、仕事であっ ても写真は写真、結局は作品力の勝負になる訳で、個人として写真を通して何をしたいのかを明確 化する作業を続けていかないとこれ以上先には進めないと日々痛感するようになってきていまし た。 そんな中、2011年3月11日の震災が起こります。 そしてその後の津波を切っ掛けとした原発事故という人災の発生。直感的にこれはかなり危機的 な状況で自分も含め皆で受け入れ難くとも引き受けて対処をしていかざるを得ない大問題だと感 じ、そして同時にこれは確実に時代の変わり目になると感じました。 そして数年経ちました。東京の風景は何も変わりませんでした。 自分の生活も何も変わりませんでした。 あたかも何事も無かったかのようでした。 変わらないといけない状態なのに変わらなかった自分達はなぜ変わらなかったのだろう。 そして見ないといけないものを見ないと選択した結果がどこに向かっていくのだろう。 ここで自分にとっては初めて写真というコミュニケーションツールを使って提示するべく社会的な テーマを見つけられたと思っています。 成熟という概念の無さ、ロールモデルとしての父親の不在、責任の受け手としての(西洋的)主体 的な個人の不在、受動的な消費者としてのありかた、自分たちの世界を構成している多大に毀損さ れつつある日本語の影響、ネット上で顕著な匿名の書き込みによる差異を認めないが故の他者へ の抑圧に見られるわかりやすいシンプルな物語のへ希求、現状認識を批判として捉える盲目的な 傾向と願望的観測から来る正常性バイアス。その結果としての全体主義。 自分達が変わらなかった理由は全てこの人災が起こった理由と一緒だと気付きました。 そしてこれはまさしく自分自身の在り方に他ならなく、同時に個人個々の意思の問題ではなくこ の場所の社会構造が故の問題なのではないかと考え、何も変わらなかったいつもの渋谷の交差点 を現在の日本の肖像画として定着できないかと思い撮影に至ったのです。 […]