RAIEC TOKYOトークショー

By | 4月 11th, 2016|2016, RAIEC, Symposium|

今日はRAIEC TOKYO 2016のメインイベントであるトークショーでした。 写真家の大森克己さん、そしてライターで写真評論家であるタカザワケンジさんを迎えてトークショーを開催しました。 トークショーはタカザワケンジさんにご司会をいただきました。 大森克己さんは、RAIEC TOKYOスタッフとタカザワさんのセットアップで実現したトークだったのですが、内容はとても刺激的で非常に面白かったです。大森さんとは面識はありませんでしたが、神戸ご出身ということ、また全く同い歳の人ということもあり、彼の作品がどのような考えで作られているのかというトークの内容のみならず、その人物像についてまず興味をもちました。 まず、スイスの美術館からいわゆる宿題として出された京都の龍安寺RYOANJI、つまり日本ど真ん中のキーワードをもとにさまざまな国のアーティストが参加するプロジェクトを、日本のど真ん中にいる大森さんがどのように作っていくのかを、15枚の写真で作られたシリーズとしてスライドショーで見せていただきました。ところが、おそらく会場の中にいてそれらの作品とRYOANJIとがすんなりと繋がって理解できた人はおそらくいなかったと思います。正直、僕にもわかりませんでした。その後、トークは禅だとかカメラだとか、写真のシステムや歴史的な写真の話に迂回しながら、また僕が住んでいる西宮の甲山周辺を舞台にしながら、最終的には大森さんがあえてRYOANJIに直結するイメージではなく(海外アーティストならやるかもしれないけれど)、そこにたどり着くヒントをイメージにつけることで宿題に対する回答を寄せようというプロジェクトとして作られていることが次第に明らかになっていくのです。 少し一節を紹介します。 たとえば、35mmのフィルムのカメラシステムしかない頃は、皆が同じ仕組みで写真を撮っているので、センスや経験で表現に違いがあるにせよ、写真そのものにはさほど違いがなかった。みな土俵は同じで、その土俵上で写真が語られていた。ところが、デジタルカメラが登場すると、いろいろな技術が積み重なったり、年々システムが変わっていく。そういう不安定な状況では、いわゆる土俵のような場所がないから写真そのものが揺れていて、そういうものを使って写真がつくられても語りつくせない時代が続いた。システムの差異が騒がしく語られて、写真そのものが語られているのか、システムが語られているのかわからなかったのだ。でも、そこからさらに進化して、ここ数年で確立したiPhoneやスマホといったフォーマットは、誰もが使うものにまで世界を席巻していて、ほぼ万人共通のプラットフォームになっているから、また同じ土俵で写真を語れる時代がやってきた。だから現在の僕はiPhoneをつかうのだ。さらに、ネットなどを介して表現できるテクノロジーも爆発的に広がり共通しているので、最終的な出力結果まで、たとえばInstagramでただイメージを流しているだけであっても、写真そのものには共通性があって揺らぎがない。大量に生産されて流れていくものであっても、ハッシュタグや適切な言葉をつかって囲うことで流れ去らないようにしていれば、それ自体が最終出力作品になりうるし、プリントまで作りたければそれにも適応できる。 というような話です。そうやってスマートフォンで作品となる写真を撮影し、ハッシュタグで写真に情報を加えることで、大森さんはRYOANJIの作品を作っているのです。ここで肝心なのは、大森さんの写真が美的要素やインパクト、RYOANJIにつながる誰もが理解出来るわかりやすいイメージではなく、イメージから想起されるわかりやすい言葉をハッシュタグで付け加えることで、わかりにくいイメージのグループを次第にRYOANJIに近づけていることなのです。 うーん、と唸るしかありませんでした。 写真の最先端は、もはやこれまでの写真のシステムの中にはなくネットの中、さらに言えば写真なんていうものはイメージである必要性さえなくなっていくのではないかと思わせるような大変興味深いお話でした。もちろん、写真である以上イメージは必要ですが、ハッシュタグがイメージを支配する、あるいはイメージに付着する言葉が主役になるなんて話が実際進められていることは、まさにこれまでの写真とは別次元の話です。そしてそれがまさに現代アートなのだと認識させられました。 タカザワさんは、写真祭や写真表現の話をからめながら、RAIEC TOKYO 2016出展者の表現の質や方向性をみて、一言ダイバーシティー、つまり多様性という言葉を話されていました。これは六甲山国際写真祭のプログラム構成上に一貫したテーマがなく、さまざまな種類の作家が参加していることに起因しているのですが、他方日本の写真表現全体にも言えることとして話されていました。すでに「写真」というブロックは溶け始めて(溶け終わって)世界の写真アートの前線基地は大森さんのような情報テクノロジーやインスタレーションに移りつつあるというのはよく聞く話です。残念ながらそこに気づいて動ける人はさほど多くはありません。タカザワさんとしては、写真の古いシステムの存立自体が溶けている今、個々の写真家の表現に対してはより精度をたかめ言葉を強く粘り強く作品を作っていくしかないと話されていました。私たちのような写真祭の方向性や開催意義にも、さまざまな要因で特色を作っていく必要があるのではないかと話されていました。 もう一つ大森さんとタカザワさんの話の中で、パーソナルワークについての言及がありました。これもおもしろかったので 紹介したいと思います。 もし誰かを愛しているということを写真表現したいのだとすれば、その愛を伝えるために写真を撮る前に「愛している」と言葉で話せば済むことた。話せば済むくらいのことなのであれば、写真に表現するには及ばない。家族、恋人などのパーソナルワークというものは、言葉では表現できない普遍的な何かをあぶり出すために撮られるべきだから、その普遍が何かが写真で理解されるかどうかは作品としてまとめ発表する前に一度考えてみるべきだ。 これもとても的を得た考えだとおもいました。 大森さんの魅力は、人を惹きつける話力にあるのだろうなと素直に思いました。豊富な知識とラディカルな思考、研究、分析の力。音楽やアートへの造詣の深さ。そして始終にこやかで、和ませる表情、声。たった数時間のお付き合いでしたが、とても楽しい時間でした。機会があれば神戸や六甲山国際写真祭などでのプログラムでお目にかかりたいと思います。 最後に、このトークショーを実現してくださりご司会をいただいたタカザワケンジさんにこの場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。