Angkor Photo Festival 2012

Angkor Photo Festival 2012

海外のフォトフェスに多くの日本人写真家が挑戦している。

最近になって多くなってきた、という向きもあるだろうが、実際に数えている訳ではないので正確な数字はわからない。また、彼らが海外でどのような評価を受けているか、という点もすべてが聞こえてくる訳ではない。その点を断った上で書いてみる。

昨年アンコールフォトフェスに参加した際、少なくともメインのスライドショーイベントに3名の日本人写真家の名前があった。実際にそのうちの2名とは言葉を交わしたから、彼らがどういう思いで参加しているかはおおよそ聞いている。実際に、帰国してからtheory of cloudsギャラリーでその中の一人である木村肇さんをグループ展に誘った。彼の作品は主に北陸、東北、北海道にある熊を狩猟する生活をおくる「またぎ」という人々を追ったシリーズだ。東京のReminders Strongholdで展覧会もやったし、「谺」(窓社)という非常に美しい写真集を出版したところだからご存知の方も多いだろう。その彼の作品がアンコールフォトフェスのスライドショーイベントで上映されたとき、僕はにわかに鳥肌がたった。その理由は、日本の一地方の文化ともいえるものに注目して一連の作品を作った木村さんの制作姿勢への思い、そしてそういう非常にローカルな小さな文化であれ人々に密着した暮らしをとらえた作品に評価を与えた写真祭の力量ともいえるものに対する思いだった思う。その作品が素晴らしいものであるならば、それがたとえ小さな物語であってもそこに光を届けるのが彼らの使命だ、と、彼ら自身が自覚的なのだ。

写真祭は、それぞれに特徴があるのがいい。アンコールフォトフェスは、基本的にドキュメンタリー色が強く、地域密着型の表現が高いポイントを得る。

その理由は、考えてみれば当たり前かもしれない。つまり、世界の中でもかなり不幸な歴史を辿ったカンボジアという国で、フランス人のグループが写真祭を立ち上げたのは8年前。ポルポトが投降して政治的に安定期に向かう前夜の彼らにとって、アートなんてものはさほど必要ではなかっただろうことは容易に想像がつく。彼らにとっての暮らしは、国力を内戦で消耗した結果、つまり世界でも珍しい教育者や指導者のほとんどを虐殺で失ったという国家像の中で、世界との距離をカンボジア国民に見せる必要があったのだろうと思う。おまけに、見渡せば世界は紛争だらけ。カンボジアが急速に近代化の道を歩き始める向こう側では、アメリカとイスラム教徒の戦争が勃発していた、そのさなかにいた訳だ。

僕はどういう訳か、アンコールフォトフェスの歴代参加写真家のポートフォリオをほとんどすべて預かっている。それらは、僕たちがアンコールの地に誘われて日本人写真家のグループ展を構成した見返りに、彼らのもっている大量の優れた写真を日本で紹介せよ、という命でもある。写真家のリストを眺め、彼らのウェブサイトを廻っていくと、そこには世界が見える。それは美しくちっぽけで、か弱く、また力強い人々の肖像でもある。アンコールフォトフェスとは切っても切れない強い絆ができた。アンコールフォトフェスのFrançoise Callier女史はRAIECのコミッティーのメンバーになってもらった。

写真祭の力量。そういうものを世界に発信して、共感を得て、共有できる写真祭にしていこうと思う。