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ポートフォリオレビューの実際について、これまで3回のポストを書いた。それぞれがある種総論的で、少し主観的な要素もあったと思うが、写真の評価という点でギャラリーやレビュワーがどういう点で写真を見ているのか、という部分はある程度参考になるのではないだろうか。もちろん、ギャラリーやレビュワー、枠組みやコンペなどすべてが同じようにはいかない。前にも書いたけれど、写真の評価の総和はあまりぶれない。つまり、いい写真だと評価される写真家は、ほとんどのレビュワーがだいたいにおいていい評価をしている。かといって個々のレビュワーがぶれない訳ではない。しかし、もっとも大事なことは、決してレビューそのものを作品制作の目的にしないことだろう。レビューはあくまでもレビュー。大切なのはレビュワーに認めてもらうことではなく、その背後にあるマーケットや社会に出て行くことであり、それはつまり制作した写真が社会につながるよう考え続けている必要がある、ということだ。

ここで少し音楽の話を書いてみたい。かなり前になるが、大阪のフェスティバルホールで大好きなボサノヴァの大御所ジョアン・ジルベルトのコンサートを聴いた。非常に高齢で来日できるのかも心配だったが、結果としてとても素晴らしいコンサートだった。僕の大好きなイパネマの娘から始まって美しい旋律のコルコバド、そしてデサフィナードなど、有名なナンバーをギター一本で弾き歌うのだ。僕はボサノヴァのリズムとジョアンのささやくような声に酔いしれた。

こういうコンサートのときにとても感心することがある。音楽の場合、プロのアーティストたちはどうして一度もミスタッチをしないで演奏を終えることができるのか、とても不思議なのだ。僕自身もボサノヴァギターを弾き、歌も原語で歌うが、とてもとてもミスタッチなしでは弾き通せない。ここにアマチュアとプロフェッショナルの大きな違いがある訳だ。ジョアンはその道60年以上とも言えるプロフェッショナル。観衆から高額なチケット代をとる訳だから、ある意味においてミスタッチなどは許されない。そう考えると、プロフェッショナルというものがいかに素養をもち鍛錬を積んで高いレベルの仕事をしているのかがよくわかる。そしてそういったプロフェッショナルになれる確率、興行収入やレコードの売り上げで生計を立てることのできる音楽家の割合は、おそらく音楽人口の0.01%に満たないだろう。

写真の場合はどうだろう。写真の場合、特別なのは、ギターを演奏する、という行為に相当する撮影の部分でカメラの存在があることだ。この「ミスタッチ」という技術的な問題について、カメラという技術がミスタッチをかなりな部分カバーし、もはや誰もが適正でピントのあった写真を撮ることができるようになったという点が、自動演奏のできないギターの演奏とはことなっている。その昔、まだ露出計とカメラが分離されていたような頃、写真家の多くは経験的なさじ加減で露出を決めていただろう。カメラも高額で、誰もが手に入れることができる今とは違って、写真家になるというのには相当高いハードルがあったに違いない。現在の写真は、技術で補われた道具を使って、ほぼ自分の思い通りのイメージを手に入れることができる時代なのだ。そう理解すると、写真をめぐる制作環境がいかに恵まれているかがわかる。だからこそ、撮影技術や出力の美しさといった基本的な技術の部分の緻密なコントロールはもはや当たり前、その撮影の背景にあるストーリーやテーマが特別に重視されるようになってきているのだ。逆に技術なんて放り出して、ストーリー勝負でiPhoneなどで作品を制作することだってできる。そのストーリーがタイムリーであれば、NY Timesなどの記事に採用されることだってある。とすると、写真におけるミスタッチとは何だろう。僕がレビューで感じるのは、誰かに似せたストーリー、観衆を意識しない一人よがりな作品。タイミングのほころび、脆弱なモチーフ、妥協した構成など。不勉強、美しくない、素養の足りなさというのもある。どこかで賞を取った、というのもなにかミスタッチなことがある。

現在の写真人口をどのように計測しうるのかはわからない。しかし、写真を楽しんで何らかの形で写真を発表したり写真をかなり高いレベルで指向する人たち、プロと言われている写真家の総和の中で、本当に写真のみを生業としている人たちがどれほどいるのか、大変興味深い。本来、この数字は音楽のそれとそれほど違いがないはずだ。写真の世界も、実は相当に厳しい競争世界であるはずで、しかもその裾野は大きくなる一方だ。「ミスタッチ」を許容すると世界が逃げていく。ミスタッチを切り離す努力をして初めて、世界の入り口に立てるような気がする。まあ、ここまで書くと辛口すぎるけれどね。でも、国内外で活躍しているトップクラスの人たちの作品をみてみると、まずその辺りは安心してみていられるはずだ。これが写真の評価の総和であるし、ミスタッチのなさなのだと思う。