2014年 六甲山国際写真祭のポートフォリオレビューに参加させて頂いた斎藤涼介と申します。 写真はコミュニケーションツールであり、展示をしないと作品は成り立たないという事実に遅ま きながら気づいた事と、今回の作品が社会性のあるテーマを取り扱ったものの為フォトフェスな どパブリックスペースで展示をする事が一番効果的だと考え、その機会を得る為にレビューに参加 致しました。 結果としては残念ながら具体的な話しにはなっていませんが、作品力があればその後の発展性 を持てる、レビューアーに多様性がある日本では数少ないレビューだと感じています。

作品は1枚全体で横25m以上あり、レビューには一部分をロール紙にプリントして5m x 70cm サイズで2枚10m分を持って行きました。この作品を作るに至った経緯をblogに書いて欲しいと いうご要望を頂いたので簡単ですが紹介させて頂きます。

今回の作品のテーマは、実は自分たちが思っているほど自分たちは自由ではないのではないかと いう疑問です。

子供の頃から集団行動が苦手で、ラジオ体操とか坊主で野球とか勘弁してくれと言いながらそ のまま順調にひねくれて育ち、その後19歳から25歳までバックパッキングでいろいろと旅行をし ていました。写真もその間に始めています。なんとか簡単な英語は話せても日本語で考えている以 上当たり前に典型的日本人のマインドセットですので、芯も軸の無く立ち位置があやふやなまま常 に外部に憧れ、同時に日本的な全体主義に反発し、くらーい眼差でもんもんとニーチェとかフロ イトとか読みながら藤原新也の真似事してた訳です。なんて残念な青春時代なのでしょう(笑 お陰様で本で読み知り旅行中に垣間見た憧れとしてのヨーロッパ的な近代的自我のあり方と、 ヒマラヤ辺りにいると考えざるを得ない東洋仏教的な無我というあり方との狭間で行ったり来た り、どっちつかずなまま今に至ります。

ここ10年程、仕事ではフリーランスとして商業写真と映像を撮っていますが、独立してからは 作品を作る事も稀で作ったとしても仕事の営業用のものばかり、写真を通して伝えたい事も無く、 私写真が大嫌いという事もあってプライベートで作品を作りそれを発表したいという願望は最近 まで殆どありませんでした。また人に見せる事に寄るその先の広がりを想像出来ていなかった事 もあって展示の経験は今まで殆どありません。しかしながらキャリアが進むにつれ、仕事であっ ても写真は写真、結局は作品力の勝負になる訳で、個人として写真を通して何をしたいのかを明確 化する作業を続けていかないとこれ以上先には進めないと日々痛感するようになってきていまし た。

そんな中、2011年3月11日の震災が起こります。

そしてその後の津波を切っ掛けとした原発事故という人災の発生。直感的にこれはかなり危機的 な状況で自分も含め皆で受け入れ難くとも引き受けて対処をしていかざるを得ない大問題だと感 じ、そして同時にこれは確実に時代の変わり目になると感じました。 そして数年経ちました。東京の風景は何も変わりませんでした。 自分の生活も何も変わりませんでした。

あたかも何事も無かったかのようでした。 変わらないといけない状態なのに変わらなかった自分達はなぜ変わらなかったのだろう。 そして見ないといけないものを見ないと選択した結果がどこに向かっていくのだろう。 ここで自分にとっては初めて写真というコミュニケーションツールを使って提示するべく社会的な テーマを見つけられたと思っています。 成熟という概念の無さ、ロールモデルとしての父親の不在、責任の受け手としての(西洋的)主体 的な個人の不在、受動的な消費者としてのありかた、自分たちの世界を構成している多大に毀損さ れつつある日本語の影響、ネット上で顕著な匿名の書き込みによる差異を認めないが故の他者へ の抑圧に見られるわかりやすいシンプルな物語のへ希求、現状認識を批判として捉える盲目的な 傾向と願望的観測から来る正常性バイアス。その結果としての全体主義。 自分達が変わらなかった理由は全てこの人災が起こった理由と一緒だと気付きました。 そしてこれはまさしく自分自身の在り方に他ならなく、同時に個人個々の意思の問題ではなくこ の場所の社会構造が故の問題なのではないかと考え、何も変わらなかったいつもの渋谷の交差点 を現在の日本の肖像画として定着できないかと思い撮影に至ったのです。

今回求めていたパブリックスペースでの展示への具体的な機会を作る事はできませんでしたが、 レビューアーとの会話やワークショップへの参加、他のレビュー参加作家の写真を見る事を通して この作品に対して次の様に気づく事が出来たと考えています。

第一に今回の作品は「写真」としてはあまりに概念的かつローカルなテーマ設定が故に西洋の 写真史の文脈にも、文学的傾向の強い日本の写真史の文脈にも全く乗っていなく、かつ自分自身 のフィジカルに基づく裏打ちも弱いために、いわゆる「写真」としての魅力に欠け、写真の評価軸 にはのらないにではないかという疑問。 次に、デジタル化とインターネットの登場で写真とコンテンポラリーアートの融合が進みつつある 中、従来の「写真」という枠組みが壊れて拡がっていくという一番コンテンポラリーな部分には この作品ではほとんどコミット出来なかったという事。(してたつもりでした・・・) そして一つのものの見方としての「概念」の提示をしているつもりでいたものが、実はそれ以前の 「印象」の提示で終わってしまっていてコンテンポラリーアートとしても成立していない事。 そしてデカイ風呂敷広げすぎな事・・・。

これらに気付けた事だけでも今回のレビューに参加できて良かったと思っています。現在は今回 得られたの経験を元に、写真の恣意性やフィクションとしての個をテーマに作品を製作中です。

六甲国際写真祭ポートフォリオレビューは、ステーツメントも込みでしっかり準備ができている これから海外に出て行こうとされる作家の方にとってはとても具体的な入り口になり得ると思い ます。(自分が言うと説得力ないですが、成果を出している周りを見ていると本当にそう思います) なぜなら普段アプローチかける事が難しい世界的な仕事をしている人と直接話す事ができる稀有 な場所だからです。また、国内でもレビューが増えてきましたが他と比べてレビューアーと参加者 の距離が近いかなと感じています。レビューだけでなく、同時に開催されるワークショップや世界 的な作家によるトークから得られるものはとても多いと思います。2015年度のレビューの締め 切りは過ぎてしまいましたが、興味がある方は来年是非チャレンジしてみてください。

 

投稿者/オカモト ヨシ