2015年の六甲山国際写真祭が終わりました。ここでは写真祭を振り返って3つのことをシリーズで記しておきたいと思います。

六甲山国際写真祭の開催目的はアートと社会とをつなぐこと。六甲国際写真祭にはそういう目的が明確にあります。ですので、写真やアートの重要さをいかにして社会に伝えるか、ということを主眼にこれまで3回の写真祭を開催してきました。写真は人々の暮らしの中に溢れかえっています。多くの人にとって、写真を見る、という行為にはさほど抵抗はないでしょうし、説明的な、例えば新聞やニュース、広告の中にあるような写真からの情報を受け取ることは誰もが全く問題なく行えるはずです。そのニュース写真がニュースの文脈と正しくマッチングするかどうか、写真が真実を伝えているか、あるいは偽装されたものかという点については、おそらく多くの人々があまり深く考えずにそれを受け入れていると考えられます。そしてそのこと自体はここでは問いません。それが良くも悪くも、昔からの写真というものへの理解だと考えられるからです。しかし、多くの場合、それらの写真が誰によってもたらされたか、という点が取り上げられることはさほど多くはないと思います。全く抜け落ちている、といってもいいかもしれません。写真はあたかも自然発生的にそこに生まれたかのように、軽く受け流されているのです。

アートやメディアの中にある写真というものを理解するとき、どうしても壁になるのは作家なり写真家なり、その表現者の考えを意識せざるを得ない点です。社会がアートやメディアとしての”作品”として写真を受け取っているかどうかを問うとき、残念ながらほとんどの人は作家や写真家の意図する作品への思いや思想を十分に理解するにはいたりません。まず、日頃たくさん見ている写真について、写真作品が特別なものであるという認識ができる人は多くはありません。また、興味をもって理解しようと頑張ってみてはいるものの理解できない場合もあるでしょう。それはやはり作品の理解にはある程度のトレーニングが必要だからです。ニュースでは簡単に受け入れられる写真であっても、ギャラリーなどを訪れると途端に難しく感じてしまい、おそらく多くの人は作品について解釈したり理解する以前に大まかな印象をもってその作品と向き合うにとどまっていると考えられます。もちろん、それでも一向に構わないわけですし、すべての作家、写真家についてそう決め付けることはできません。たやすく理解できる作品もたくさんあるでしょう。ただ、作品を受け取る側に立ってみると、難解な写真を見せられるより、理解しやすい写真により多くの魅力を感じるはずです。美しい風景写真、よくデザインされた写真などがそれに該当します。ただ、とすると、やはりそれらの写真は軽く受け入れ、軽く流せる写真なのかもしれません。そしてアートの作り手、担い手の側に立つと、そういう軽く受け入れられ、軽く流せる写真やアートにさほど価値を見出せない、という問題が湧き上がってくるのです。

作家が意図して作った作品を一般の人々に理解してもらうためにはどのような方法があるのでしょうか。いうまでもなく、それは作家側の作品を作る姿勢や意図をよりわかりやすくすること。そして、受け手である人たちに写真の素晴らしさを理解してもらうこと、この二つの方法しかありません。六甲山国際写真祭は、この二つの方法を実践しようとしているのです。

Max Pamは、SUPERTOURISTというシリーズを提示しました。このシリーズは彼の40年以上に及ぶ写真活動の集大成のような作品集から構成されました。スナップやアート作品、ヌードや細々とした土産物まで、様々な時代背景、様々な土地で、様々な被写体が様々な手法、カメラワークで収集されています。それが4つのテーマに従って分類され、類型され、提示されている写真集です。このシリーズの素晴らしい点は、”特別な写真”というものがほとんど一切ない点です。もちろん、専門家から見れば重要な写真はたくさん含まれています。しかし、ほとんどすべての写真はただの写真であり、私たちが普段撮ったり見ている写真となんら変わりはありません。そこにあるのは”旅”というくくりだけです。この写真の集大成の魅力は、作り手に対しては、やはり破天荒なことが許された良き時代に若者の最大の権利を行使して自由に世界を切り取り、歩いたこと。そこで得たものを何一つ捨てず、飾らず、ありのままを記録し、発表し続けたこと。写真とは、意図して何か作家の思惟を埋め込むことだけに特段の意味があるのではなく、あらゆる人生のシークエンスそのものであると潔く割り切って”撮っておくべきもの”だというメッセージです。対して、一般に対してはどう見えたでしょう。おそらく、写真というものの本質的な意味合いにおいて社会そのものとパラレルに浮き沈みする写真家の存在を意識しつつも、重たくなく、娯楽のような感覚で見ることができたと思います。そこはニュースで見るような写真や、普通の家庭が旅にでて撮るような写真にあふれているのです。そして時々現れる美しい肖像、中世絵画を模して撮影したヌード、ドキュメンタリーの作品が写真家の表現者であることを意識させるにせよ、それはあくまでも旅においてMaxが見て感じて撮っただけのもののように重たくない作品だと理解されたでしょう。そしてそれがMax Pamの最大の魅力なのだと思います。

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林典子さんの「キルギスの誘拐結婚」のシリーズは、ジャーナリストとしての彼女の視点でもたらされた驚くべきストーリーです。意中の女性と結婚するために男性が女性を誘拐して結婚する、というキルギスの衝撃的な社会慣習を私たちはこのシリーズで目撃します。日本においても結婚、恋愛、家庭に関する問題がないわけではありません。格差差別やDV、性犯罪、離婚問題、子の親権問題、子供に対する虐待など、日頃からたくさんの話題を耳にします。政治経済外交といった比較的関心の高い問題に比べると、どちらかというと話題にしにくい問題かもしれませんが、それでも社会システムの矛盾や誤りについては私たちはもっと考えオープンに話し合う必要があります。社会問題に光を当て議論を呼び起こすのがジャーナリストの仕事であるとすれば、その情報提供、問題提起の方法として強力な武器になるのが写真や映像です。林さんの写真は私たちに普段知ることのない世界の状況を思い知らせ、また観覧者にその事実について考えさせるよう導く大切な仕事なのです。

“何でもない旅で得られた写真”そして”見たこともない世界のニュース”。その間に日本の写真があります。それを理解し、作り手と受け手がコミュニケートすることが六甲山国際写真祭の目的なのです。

RAIEC 杉山武毅