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六甲山国際写真祭2019を振り返る・その2

By |2019-09-04T01:21:02+09:009月 4th, 2019|Exhibition, Experience, Mirage Gallery, Mt.ROKKO, NEWS, Organization, Photographer, Photography, Portfolio Review, RAIEC, Workshop|

ミニマルで手作りでありながら最高の体験ができる。六甲山国際写真祭はずっとそんなものを追い求めていた気がします。2013年の5月に実行組織を立ち上げて、初めての写真祭をその年の11月に六甲山上で開催した時、僕は関係者に「結婚式2つ分ぐらいの労力と資金でできること」を実施することを求めていました。新郎新婦が半年程度の準備期間に苦労して開催できる範囲のことを手作りでやろうと考えていました。大きな夢をみなかったわけではありませんが、特定の企業や写真産業に資金や協力を求めてこなかったのには理由があります。参考にした二つの写真祭も大きいものではありませんが、それは運営自体をコンパクトにすることで中身を充実させ、参加者と実行組織との距離を縮め、より体験型の写真祭をデザインしているからです。そうはいっても、詰まるところ、僕自身が忙しく大きなことはできないのは明らかだったのが最も大きな理由でしょう。 最高の体験。参加者にとってそれがどういう意味なのかはすぐに理解することができました。レビューで参加者たちが求めることは、作品への適正な評価と作品作りへの適切なアドバイス、そして機会の提供です。僕のような日本人の、写真の外野からやってきた者にさえ、アメリカやヨーロッパの人たちがレビュー枠を競うように取り合ってくれるのは、面白い体験でした。僕のレビューはいつも真っ先に満席になっていたそうです。それは評価の仕方やアドバイス、機会の提供がうまくできているからだと教えてくれた人がいました。そこで、日本でも同じように写真祭をつくればうまく運営できると考えました。最高の体験を国内の写真家にぜひ味わってもらいたいと思いました。2013年は、Antoine d'Agataが手伝ってくれました。運営は今から考えるとめちゃくちゃでしたが、手応えはありました。ポートフォリオレビューの枠取りも大失敗でしたが、みんな怒りもせず我慢して待ってくれました。2014年は初めて本格的な写真展を試みましたが、山上の公園の奥深くで展覧会をやったので誰もみにきてくれませんでした。ホームページは制作途中で止まってしまって、ようやく形になったのは写真祭が始まった後でした。2015年と2016年は規模を大きくしてスタッフボランティアも大幅に増やしました。近くのギャラリーも巻き込んで無理を言って会場に使わせてもらいました。しかし、自己負担金が膨れ上がって、まともな生活に戻るのに1年近くかかるという苦い経験をすることになりました。しかし、いずれの年も、参加者たちは皆いい顔をして写真祭を去っていったような気がしています。皆が成功するわけもないけれど、充実した山上のキャンプを皆が楽しんで有意義に過ごしたのだと思います。そして実際、多くのプログラムが国内の他の写真祭や出版、海外のプログラムに旅立って行きました。 ・・・。 2019年の写真祭を終えて、満足かと聞かれたらどう答えていいのかはわかりません。世界がいろいろな局面でざわざわしているこのご時世に、写真(写真祭を運営する)の意味について考え続ける身としては、上記の体験を通してミニマルな、手作りな、親身な運営をする以外に六甲山を特徴つけることなんてできないのです。最高かどうかはわかりません。しかし、来てくれた以上は誰一人つまらない思いをして去っていかないよう六甲らしいものであろうと心がけました。展覧会は、My Place My Lifeのテーマのもと、一般の方がみてもわかりやすいプロジェクトを招きました。Santiago Vanegasのシリーズは、家族、故郷を美しい光で捉えた秀作でした。去年の関西御苗場でレビュワー賞に選んだ眞岡綺音は、その後の夢の先プロジェクトをグランプリで終えましたが、みずみずしい表現が好評で、若者らしく皆に愛されたと思います。昨年のReview Santa Feで会ったKurt Tongは、祖母を題材にしたパーソナルワークですが、素晴らしいテンポのある作品で見るものを魅了していました。今回は公募展として神戸国際写真賞入選作も発表しました。イタリアから来たFrancescoの作品もやはり故郷への思いを詩的で内省的な表現で描き好評でした。ほんだのりこさんの病に倒れた妹との関係を丁寧に綴った作品も心を打つものでした。そして、Mo Velraanの作品は、上質で心象的な光源を駆使し、自分とパートナーとの間に突然降りかかった病がどれほどつらかったのか、それをどう克服するのかというストーリーで人々を惹きつけていました。C.A.P.のMikaelは残念ながら当地に参加はできませんでしたが、黒人の身体美をつかった黒人差別への強烈なメッセージをこめた作品を送ってくれました。「まちのかり」の参加写真家たち5名は、ローカルストーリーを語るのに苦労したかもしれません。しかし、小さな町の小さな物語にはいつも魅力を感じずにはいられません。「まちのあかり」は六甲山国際写真祭の歴史そのものです。「まちのあかり」会場では面白い?仕掛けも試みました。日本地図と世界地図を配置し、訪問者の出身地や思いのある場所をマッピングしました。 ビッグネームは誘わないのかとよく聞かれます。つながりの中からより大きな人に声をかけて来てもらうことはさほど難しくはありませんが、僕は今回のようなストーリーを語れるゲストの方が神戸やミニマル写真祭には合うと思いました。一般の訪問者に写真の魅力をより伝えられると思いますし、なにより大切に思えて好きです。アートの本質にはちゃんと届いていて、物語が美しく、光と闇が交錯していれば誰にでも理解できる作品になる、それが大切だと思えるのです。Mirage Galleryでの大西正・鈴木達朗写真展は、写真祭初日から快進撃です。彼らと会ったのは2017年のTokyoArtBookFairでブースが隣り合わせだったからですが、ストリートフォトを展示するのも扱うのも初めてで凄みのある展示になりました。写真祭期間中、ものすごい数の人がMirage Galleryを訪れ、交流し、特別に二人が制作してくださった展覧会カタログを購入してくれています。在廊し、写真祭を盛り上げる。観客に声をかけ、写真を説明し売り込む。写真に対する姿勢の美しいお二人には本当に感謝しています。レクチャーではCasePublishingの大西洋さんにお世話になりました。写真集の現在は、旧式の出版業界のシステムに始まったアンチテーゼとは大変面白い話でした。これからの写真集出版がどういう軸で動き、どういうマーケット構造で広がっていくのかが端的にわかったほか、写真集そのものが形式をまとうことを避けながら独自の芸術に昇華しつつあるというお話は、これから出版を目指す人にはとても役に立ったと思います。 今年は新会場である相楽園が写真祭を迎え入れてくれたのが大きかったと思います。C.A.P. KOBE STUDIO Y3の展示に加えて、大きな展示は手作りの竹のかけ具で行うことを決めていました。真夏の炎天下の、そして大雨のふる中での設営は大変でしたが、ボランティアで参加してくださった写真家有志の献身的な努力により、風雨にさらされても崩れない立派なものができました。31日1日はにわのあかりというライトアップイベントに2000人以上の人が集まりました。そして多くの方が写真展を見てくれたと思います。1日のレビューワークショップ参加者の公開プレゼンテーションは、ピアノの発表会に出演する子の親のような気持ちで見守りましたが、すべての写真家が多くの観衆の中堂々と作品を発表していました。2日間のワークショップで作品に与えられるものなどわずかしかないと思いますが、それでも作品は生き生きと語りを得て輝いていくはずです。Kid's Photo Mastersには5名のKidsが参加してくれました。Francescoと審査しましたが、楽しいアートな作品がたくさん生まれました。 結論を言うと、僕はこの写真祭は7年目にしてやっとスタイルを得たと感じています。最高とは思いませんが、僕たちが今できる最高のものを作れたんだと思います。来年?来年写真祭を開催するかはまだ白紙状態です。しかし、何かはやるつもりです。そのために死に物狂いで働いています。 [...]

六甲山国際写真祭に参加して / 岡原功祐

By |2017-07-03T18:24:44+09:004月 28th, 2017|Experience, Mt.ROKKO, Photographer, Photography, Story|

こんばんは、六甲山国際写真祭2017ポートフォリオレビュー事前審査の募集も4月30日までと迫ってきました。 去年の夏の四回目の写真祭の招待作家で参加していただいた岡原 功祐さんから素敵なトークと展示を発表していただいた様子のリポートを預かっています。   六甲山国際写真祭に参加させて頂いた、岡原功祐です。今回、私の作品「Fukushima Fragments」を展示していただきました。 写真展で展示したプリントは、3月に東京で行った写真展のものを神戸に運んで頂き、展示したものですが、大きなシートにステートメントを印刷して頂き、ました。ステートメントはこの作品にとってとても大事な部分なので、こうしてこのプロジェクトを大切に扱って頂いたことにとても感謝しています。 さて、始めて参加させていただいた六甲山国際写真祭ですが、ボランティアの方々を含め、運営の方たちにとても温かく迎えて頂き、素晴らしい時間を過ごすことができました。 初日のトークでは撮影のプロセスを、写真を見せながらお話しさせて頂きました。5年半前の震災は、物理的にも精神的にも難しい撮影でした。今回こうして関西で福島についてお話しさせて頂く機会をいただけて、とてもありがたかったです。 2011年の震災後、何度か関西を訪れる機会が有りましたが、そのたびに東日本とは全く違う空気が漂っていることにショックを受けると同時に、ほっとする自分がいたのを思い出しました。逆に、神戸の震災の時は東京にいて(高校受験の当日でした)、テレビのニュースから流れる映像にショックを受けつつも、実際に現場を見ることはありませんでした。すでに21年もの月日が流れたということに驚きを隠せません。       フェスティバルでは、トークの他に、ポートフォリオレビューにもレビュアーとして参加させていただきました。皆さん準備が素晴らしく、一緒に参加していたシンガポールや中國からのレビュアーも驚いていました。レビューを受ける方同様、私も撮る方なので、作品作りの難しさなどについて共感できるところも多く、何かしら良いものを持ち帰っていただけたらと思いレビューさせて頂きました。私とは畑違いの作品も多く見させて頂きましたが、写真を通すと不思議と見えてくることが多々あり、改めて写真という媒体について考えさせられました。作品は人に見られてなんぼだと思うので、こういったレビューの場は、作品が飛び立っていく上でとても大事だと感じます。 フェスティバルというよりは参加者の強化合宿のような色合いが強い場でしたが、こういった機会は日本では中々ありません。写真教育を中心に据えて行うという理念も素晴らしいと思います。このフェスティバルが、国内の写真教育の重要な場として今後も末永く続くことを祈っています。       六甲山国際写真祭2017ポートフォリオレビュー事前審査のエントリーフォームはコチラになっております。 http://rokkophotofestival.com/blog/?page_id=11357      

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写真表現のためのコミュニケーションWS RAIEC TOKYO 2017 に参加して / 久保 誠

By |2017-07-03T18:26:14+09:004月 25th, 2017|2017, 2017RAIECsatelliteTokyo, Experience, Photographer, RAIEC, Workshop|

六甲山国際写真ポートフォリオレビュー2016のレビューイとして参加した久保誠です。 私は「写真作品を発表する」ということを、自身の思いを伝えるためにプリントをして見せることだと考えていました。 間違っていないとは思うのですが、それは常に主観的で自分本位になりがちな、押し付けがましい行為ではないかと心配でした。 コミュニケーションという言葉にも引っかかります。コミュニケーションならば双方向の対話なはずなのに、観衆からのフィードバックを受け取っていない自分がいたからです。言語を持たず感覚を頼りにして撮っていた私の作品を社会システムの中で同意してもらうためには、観衆である他人を考え客観的な言語にする必要がある。 この事を実践的に習えたこのワークショップは、私にとって大変有意義でした。     「内向的なのか外向的か」「パーソナルなのか社会的なのか」「インパクトの強弱」「見えているのかそれとも想像の世界なのか」、自分の作品の主観を捨てて、客観的に分析するためのヒントを沢山もらいました。 後半の自分の作品のステートメントを他の参加者が作るグループワークでは、自作ステートメントとより良いものが出来る新鮮さに皆、驚いた様子でした。 ワークショップの中で杉山さんが言っていた通り、ステートメントは辞書で調べても「思い」の意味は無く「声明」や「宣言」でした。   自分の作品をより理解してもらうために、もう一度言語で明確にしてみます。    

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写真表現のためのコミュニケーションWSのススメ / オカモト ヨシ

By |2017-07-03T21:05:01+09:004月 11th, 2017|2017, 2017RAIECsatelliteTokyo, Experience, Feature, Mt.ROKKO, Workshop|

こんにちは★ 第一回から六甲山国際写真祭にレビューイとしては参加しています、オカモトヨシです。 4月 15 @ 12:00 PM - 5:00 PMよりArt Chiyoda 3331 1階 会議室にて「写真表現のためのコミュニケーションワークショップ / RAIEC TOKYO 2017 」が行われます。 私は、四年前に神戸で行われた一番最初の「写真を表現するためのコミュニケーションWS」に参加しました。 このWSが、私が写真家としてのスタートとなりました。 私は日頃は商業カメラマンとして、仕事の写真をせっせと撮影しています、仕事は私の人生で一番刺激的な事ですが、物足りなさも有りました。 若い頃は仕事に繋がる作品も盛んに撮影していました、写真を撮影していても自分自信を表現する作品は知りませんでした。カメラマンとしてもそれで良いのだろうか?と悩始めたのがその頃でした。 そんな時にこのWSと出会い、このWSがきっかけで写真仲間と出会い写真の世界広さを知りました。 [...]

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Shenzhen International Urban Image Festivalに来ています

By |2016-09-24T02:51:03+09:009月 24th, 2016|2016, Experience, NEWS, Photography, Story|

表題のイメージフェスティバルに参加するために中国深圳に来ています。今回は5名の日本人写真家を紹介するプロジェクトに呼ばれているのですが、今日からスタートし、約1ヶ月続くこのフェスティバルの一部を紹介しようと思います。 深圳は香港のすぐ北側、本土に面して展開する巨大な都市です。深圳は30年ほどの間に恐ろしいスピードと規模で発展した都市とのことで、現時点で世界で最も裕福な都市との表現があるくらい、科学技術を始めとする中国の基幹産業をてこに、中国政府が膨大な資金を投入して作り上げた1200万の人々を抱える近代都市といえる場所です。空には摩天楼がそびえ、道路という道路はとてつもなく広く、公園や街路樹も美しく整備されていて、そこに欧米日本車などの高級車が溢れかえっているメトロポリスです。当然のように豊かな財政と新しい中国の都市生活のスタイルが発展し、アート産業も極めて高いレベルで発展しています。写真に関するものだけでも4つの写真祭を抱え、中国全土のアートマーケットの一翼を担っており、活発な中国の人々の購買欲や、新しいおしゃれな都市の暮らしを満たす消費財として、またコレクターの育成に成功した強大なギャラリーシステムを抱え、国際社会の中国経済への動向への不安とはかけ離れて、ここ深圳ではアートは未だ本格的で健在です。つまり、産官学が一体となってアートというある種の産業を都市構造に埋め込むことに成功している羨むべき構造があるのです。実際、このフェスティバルもその他の写真祭も、主には中央政府や地方政府の資金提供を受けながら発展しているアート祭で、40にも至らない若いキュレーターたちがよどみない語学力をもちいてわんさかプログラムを作っていて、驚くばかりです。僕たちもほぼ中国の国費(あるいは地方政府の資金)で招かれており、食事宿泊渡航費のほぼ全てが運営委員会もち。彼らはタクシーから何もかもネット上で予約し、こちらは一切のストレスを受けないでおまかせとなっています。緊縮予算とだらしない政策、似たり寄ったりのプロジェクトに終始し、どうやっても資金が集まらない我が国のアートプログラムとは異なり、都市とアート、アートと人々、人々と暮らしなどと言ったフレーズなど使わずとも、誰もが良質のアートに触れその恩恵に触れることができるように教育システムが存在し、アートシステムがあり、都市が作られていて、羨ましい限りです。 まだ都市が形成されていない頃の倉庫街をアート特区として整備している深圳OCT地区 もちろん、写真祭自体は新しく、ディレクターも若く、ホームページもなくあちらこちらにほころびもあるのですが、World Press PhotoやMagnum、National Geographic Beijingの若い編集者やアーティストたちがこれから1ヶ月の間、次々とこの地を訪れて写真の祭典を繰り広げるとなると期待せざるをえません。 そんな中国の写真シーンですが、やはりキーとなったのは大きくわけて日本とヨーロッパからの影響だといいます。1990年代には森山大道やアラーキーがこの国の写真家たちに強い影響を与え、その後の中国の写真家たちの道しるべになったといいます。高度成長からはじまった国威の発揚に伴って、より大きなマーケット、アートの中心地であるヨーロッパにでかけていって多くを学んだ写真家のグループもあるとのことです。現在の中国と日本は、政治地政学的にかつていないほどに物々しい状況を生み出してはいるけれど、本質的には東アジアの価値観を共有しているはずで、その点については出会った誰もが日本に対して一目置いているのは面白い発見でした。 日本でもおなじみのMu Ge氏の写真展準備作業。ここは中国最大手の美術出版社のギャラリー。複数階に渡っていくつものギャラリーが連なる。準備をしているのは、なんとアート専門の搬入展示会社のスタッフ。そういう職業があることに驚く。僕が知らなかっただけか   OCTの内部。街ひとブロック全体がギャラリー、カフェ、美術学校などで作られている   ハンガリー人メディアアーティストIstvan Horkay氏のオープニングレセプション。彼の作品はナチズムを取り上げた作品。古い写真をモチーフにして、ドローイングを加えた手数の多い作品。ビデオインスタレーションも素晴らしかった。なんと別作品ではあったけど、サイン入り作品をいただいた。この会場は学校のような施設で、若き中国人アーティストが初キュレーションに挑んだとか。彼はとても誇らしげでいい顔をしていた [...]

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写真祭を終えて

By |2016-08-30T01:05:32+09:008月 30th, 2016|2016, Experience, Mt.ROKKO, Organization, RAIEC|

2016年の六甲山国際写真祭がGallery TANTO TEMPOのMichel Huneaultの展覧会を残し、全日程を無事終えました。Gallery TANTO TEMPOの展覧会は9月25日までです。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。 六甲山国際写真祭の開催は今年で4年目です。2013年の初開催の準備不足の写真祭をご存知の方は、おそらく写真祭が進歩していることに驚かれたと思います。六甲山上の野外展覧会は集客の難しさから今年は実施せず、神戸市内に展覧会をあつめ、山上ではポートフォリオレビューと参加者向けワークショップのみを行うことにしました。山上ではポートフォリオレビューのほか、BBQなどのリクリエーションやナイトセッションというディスカッションを行い、コミュニティーのつながりに必要な議論を促すイベントを開催しました。28日にはオープンポートフォリオビューイングを開催し、思いがけない数の参加者があり、Lucky Photo Marketの抽選会もあり大変盛り上がりました。Lucky Photo Marketでは、メインゲストをはじめ協賛出版社・写真集ディストリビュータからもオリジナルプリント、プリントつき写真集を無償で提供いただくなど、羨ましくなるようなものばかりで、提供者本人がドローに登場して興奮に溢れた抽選会でした。おかげで、例年をはるかに超える資金獲得ができました。ウェブからチケットをご購入いただいた方にも作品が当たったのは良かったと思います。ご支援をいただいた方々に感謝申し上げます。 六甲山からは、参加者がそれぞれの思いを胸に世界中のイベントや展覧会、写真集出版の機会を得ていることは素直に喜ばしいことだと考えています。今年も、世界中からアーティストやレビュワーが参加され、準備のある程度整った写真家が多かったことから、レビューはそれぞれに成果があったと思います。国内のレビュワーも変更し、海外からも新しい新鮮なレビュワーを呼んだことから、具体的な成果が次々と報告されていて、かつてない規模で世界に羽ばたいていく可能性を秘めたレビューになりました。 六甲山国際写真祭がどのような場所か、おそらくは参加されたか関わった方にしかわからないわけですが、写真とはなにか?写真で何をやりたいのか?なんてことを真面目に話し合う場所に自然になってきているし、六甲山はやはり写真家に覚悟と準備を促す場なのかなと考えています。RAIECがやりたいことは、ある意味ゆるやかな写真をつかった社会変革です。アーティストサポートや教育が主ではあるけれども、その目指す先には写真を通じて社会に参加する姿勢を求めたり、プロジェクト自体を動かせる人をリクルーティングという観点もあるのです。そしてこれは、さまざまな分野で欧米やアジアから遅れをとるなかで、国内の写真の状況がかなり切実な状況だというところから導き出されています。なぜなら、写真界だけで見ても、こういったプラットフォームに運営側で参加したいと思うひとが現れない限り、純粋に写真関係者のみで国内発の世界に通用する枠組みをつくることはできないからです。海外の多くの写真イベント主催者は、もともとは皆写真家です。そういう人たちが写真家の事情を訴えて社会につなぐ活動をするからこそ、写真家や写真界がまとまることができるのです。 参加者みなさんの経験や作品を拝見していても、ほとんどの方が写真の専門教育を受けておらず、教育を受けていないことでスタートラインのはるか後方から走らなくてはならない状況にあります。もちろん日本にもいろいろな枠組みがあって、それぞれが役割を担ってはいるのですが、写真とは何か、写真で何を誰に伝えたいかという問いに立ち帰れる場所は実のところ一つもないと思います。無数の枠組みに知らず知らずに巻き込まれて、そのためにいつまでも写真にお金をつぎ込まざるをえないのです。写真を続けることはとても大切なことです。皆さんが懸けてきたことをあれこれ論評するつもりはありませんが、写真の続け方を知ることも大切だと思います。 世界中、また日本国内でもポートフォリオレビューが盛況な今、多くのレビューに世界中の写真家が参加してきます。また、ワークショップも写真賞もどこの国にもたくさんあり、写真家にとっては機会が増え喜ばしい限りなのですが、運営サイドからみているとそれらがどういう意図で形成されているのかを知るにつれ、やはり写真の世界を体系的に知っておかないと世界を渡り歩くことはできないと思います。 成果がありそうな人も、あまりいい評価が得られなかった人も、それぞれの評価で焦ることはないと思います。海外デビューなんていうのはプロセスのひとつであってゴールではないし、そこからもっと登っていきたいと願うことは悪いことではありませんが、実際に駆けあがれる素養と体力、度量、図々しさがある人はそんなにいないはずです。成果があるといっても、一度海外につながっただけではなんとも言えません。海外に出かけるだけでも、会話ができないようではふうふう疲れますし、その後はより厳しいスクリーニングにかけられ、今回の参加の何倍ものアイデア、体力、資金が必要となるでしょう。 そういったことを含めていくと、六甲山国際写真祭が果たすべき役割はとてもよく見えてきます。RAIECではこれからもワークショップを中心とした写真祭作りを目指していきます。今後もご支援をくださいますようお願いいたします。 最後に、今回の写真祭を一緒に作り上げてくれたRAIECスタッフ、ギャラリー関係者、参加者、レビュワー各位に深く感謝いたします。 RAIEC 杉山武毅 ※レビュワーから頂いた言葉を記しておきます。 写真・写真家について 世界でも通用する人は少なからず存在している [...]

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Festival Official Statement / 写真祭開催に寄せて

By |2016-08-25T05:36:00+09:008月 25th, 2016|2016, Eng, Experience, Mt.ROKKO, Organization, RAIEC|

When I started collecting photographs in 2006, I was just a collector not a photo person. I just wanted to stand beside art in my small territory. When I started a photo gallery in 2008, I had no idea how to deal with selling photos. I tried to learn from professionals, but most of them in Japan had no enough information that I needed. There were legendary photo galleries here [...]

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準備会終了いよいよ本番へ

By |2016-07-24T21:51:48+09:007月 24th, 2016|2016, Experience, Mt.ROKKO, Organization, Portfolio Review, Support, Workshop|

先週末に始まった六甲山国際写真祭ポートフォリオレビュー参加写真家たちのための準備会は、今日で全日程を終えました。総勢28名、参加者総数の実に7割にせまる参加者数でした。参加された写真家の皆さん、ご苦労様でした。   準備会の意味は、六甲山国際写真祭の公式ブログにも掲載していますのでここでは書きませんが、やはり開催しておいてよかったと思います。日本のポートフォリオレビューの開催意義まで掘り下げるといろいろ問題点が浮き彫りになるわけですが、その最たる問題は写真家の不勉強と準備不足に尽きます。それはアート教育システムのなさ、歴史的写真の知らなさ、発表現場の緊張感のなさ、ワークショップの乱立、国内指導者層の意識の低さ、ばらつきの大きさ、マネタイズ主義のイベントの多さ、自分が参加する写真システムへの参加意識の低さなどに加えて、絵作りのレベルの低さ、テーマの弱さ、取材や掘り下げのなさ、流行りに弄ばれる意志の弱さなどもうどうしようもなく問題点だらけです。うわついた写真、薄っぺらで不十分なアートの装置、他者への心配りのなさ、取材のないドキュメンタリーとまで書くと、もうどうしようか、レビューなんてやめてしまおうかとさえ考えてしまうのですが、六甲山としては、欧米アジアの人やシステムとの違いは織り込み済み、蹴落としていくのがいいのか、拾い上げて教育するのがいいのかで考えた場合、はっきり後者だと言い切れるシステムを作り上げようとの意思表示をしたわけです。六甲には開かれた写真コミュニティーがあって、誰もが参加でき、努力次第ではチャンスがある、という主催者の写真祭開催意図は、参加者が汲み取ってこそ生きるわけで、参加者の皆さんは一層の努力をして準備に邁進してほしいと思います。   実際、参加者の皆さんの作品は事前審査を通過したものであっても皆が決して優れているというわけではありませんが、準備不足な人たちも編集次第、写真の構造の持ち方、ちょっとした軸を変えることで良くも悪くもなるわけで、その良い方向に整える努力を怠らなければ、決して悪い無意味と弾き飛ばす必要はなく、むしろ良い点にストーリーをフォーカスできるということも学んだと思います。もちろん、通過者の半数は何かしら可能性を秘めているし、真の表現者も少なからず参加しています。 一方で、写真で何を目指したいのか、という根本的な問いかけはずっと問い続ける必要があるな、というのが今回の準備会の印象です。皆さん、目標が漠然としているか、そこまでの欲求がないか、高望みをしているか、自分のレベルにフィットした目標がないこともわかりました。六甲山国際写真祭のレビュワーにはギャラリストは少数です。ほとんどが写真祭、キュレーションメディア、キュレーター、編集者、出版社です。そしてそれには読みと計算もあるわけです。現代の写真ポートフォリオレビューでは、ギャラリーの取り扱いに至るケースはほとんどないと思います。欧米でもグループ展などに取り上げられるケースはありますが、契約に至るような取り扱いを受けることはごく稀です。一方で、活況なのが写真祭、写真ブログやキュレーションメディア、出版社などです。これらは比較的プロジェクトになる可能性がありますし、それらは決して閉じてはいないので、人のつながりを生みます。オーディエンスも増えるので、結果的にどこかにストンと落ち着く可能性があります。また、いつも書くように、写真がいいという理由だけでプロジェクトになるのではなく、人と人のつながりからプロジェクトになるということを忘れないでいてほしいと思います。誠実にプロジェクトを作ってさえいれば、小さな始めたばかりでの作品でも良いプロジェクトに発展させることは可能なのです。 さあ、本番まであと少し。準備会に参加された方もされなかった方も、頑張って準備を進めてください。

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萩原義弘さんの講義

By |2016-04-15T01:12:43+09:004月 15th, 2016|2016, Experience, Mt.ROKKO, RAIEC, Story, Workshop|

3331で開催された写真コミュニケーションワークショップでは、"SNOWY"で知られる萩原義弘さんに講義をしていただきました。これまで様々な写真家と知り合ってきましたが、写真のプロジェクトの話を伺ってこの人ほどプロジェクトの話ができる人はいないんじゃないかなと考えての依頼でした。それはヴィジュアルなアーティスティックな点と、社会的な視点、教育的な視点とをすべてを併せ持っていて、これからプロジェクトを作っていこうとする方達には大変参考になると思います。 写真はクラシック、モノクロのスクエア、ハッセルブラッドのノッチがわずかに見える正統派の写真です。ただ、そこにはプロジェクトのきっかけである1981年に発生した夕張炭鉱事件から始まり、炭鉱労働者の悲哀、町と人々との関わり、産業の衰退、産業そのものの構造的問題点など、様々な要素を含みながら発展していきます。新聞社の記者という視点も忘れることはできませんが、学生時代に写真を撮りに出かけたという夕張がいかに一人の写真家の人生を決定付けたか、というストーリーは、現代の写真のスタイルとは異なり、かなりストイックです。35年もの間、夕張を起点に発展的展開はあるにせよ一つの素材を追求していく姿勢はなかなかとれるものではありません。 写真を評価する側にいると、写真の掘り下げ方が足りない写真家が多いことに気づきます。良いプロジェクトというのは、主題をもつ音楽のように展開し、絡み合い、また主題に戻ってきます。そういうプロジェクトをレビューで見かけることはほとんどありません。これからの写真は、いわゆるビジュアルコミュニケーションという視点がかならず必要になってきます。それはその作品群を系統的に見せることによって、オーディエンスに社会への気づきをもたらし、オーディエンスが何らかのアクションを起こすということ意味するのですが、そのためにはテーマの掘り下げが必要なのです。 あまり知られていないことですが、萩原さんの写真は2013年には某仏最高級ファッションブランドの秋冬もののカタログに8ページにわたり掲載されるなど(その前号に掲載されたラルティーグなどと同列に!)、たゆまぬ努力の結果が着実に実を結んでいる写真家の一人と言えます。現在は日大の写真学科で講義をされており、参加者の写真の可能性について的確なアドバイスをしていただきました。 そんな裏話なども紹介されて、大変有意義な講義でした。  

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写真コミュニケーションワークショップで起こったこと

By |2016-04-10T01:04:24+09:004月 10th, 2016|2016, Experience, Mt.ROKKO, Organization, Portfolio Review, Story, Workshop|

それは言ってみればMagicなのだと思います。 Magic-① 魔法。奇術。手品。「トランプの―が得意だ」② 不思議な力のある意で,多く他の外来語と複合して用いられる。③ マジック-ナンバーの略。④ マジック-インキの略。 とりとめのない作品を、手品をつかって何段も何段も上げていくのがこのワークショップの仕組みです。それは魔法と呼んでもいいし、奇術と呼んでもいい。とにかく、それは一旦は研ぎ澄まされ、解体され、余計なものを剥ぎ取られて、作家にとってもっとも使いたい言葉を含みながら美しい言葉に言語化されていく作業なのです。それが複製可能なヴィジュアルプロジェクトに命を吹き込んでいく現代のロジックなのです。 日本人の書くステートメントは、かなり問題があります。回りくどいか、意味不明か、そもそも文章ですらない。なので作品はどこにも、誰に対しても、自分自身に対してですら意味をなさない。もちろん、そこが明確化された萩原さんのような大人なプロフェッショナルは確かにいるだろう。しかし、僕が見るところの多くのプロジェクトは、実のところまだプロジェクトですらない。それは習作にすぎず、ただそこに意味もなく横たわっているだけなのです。それは、アイデアがあっても、アイデアを表に引き出しプロジェクトの根幹をなすべき筋の通った言葉が足りていないからだと思います。 と書くとかなり後ろ向きな、炎上しそうな考えなのかもしれませんが、そこに僕たちはMagicを使うのです。正確な、誠実なプロット、弱々しいことを逆手に取るレトリック。シナリオと絵コンテで映画を完成させていくような、場面場面をつなぐ糊のような形容詞、副詞、動詞をつかう。たったそれだけで、Magicは確かに完成するのです。 ではMagicはどこにある?今日、多くの人はMagicを目撃したと思う。   今日はまた、写真のバックヤードの話を野元さんがやってくれた。誰がアートを仕切っているか、というPower 100の話。そしてモチーフ、テーマの上にあるべき根源的な制作欲求、本質。そして、Powerに近づくために必要なつながり。 ではつながりはどこにある?今日、参加者は繋がりを通じてしかPowerに近づけないことを知ったと思う。パワーというのはすなわちお金であるし、より高い場所にある目標です。閉じたアートワールドで活動することで満足する人たちも確かにいるだろう。しかし、それはアートか?といつも自分自身に問いかけている必要があります。僕は違うと思う。アートは常に食指をたえず上にうえに伸ばして勝ち取るべきものなのです。その行動をとったものがアーティストなのです。              

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