By takeki|2015-10-12T08:47:02+09:0010月 12th, 2015|2015, Experience, Mt.ROKKO, NEWS, Story, 未分類|
六甲山国際写真祭にゲスト写真家として参加させていただきました、林典子です。この写真祭は、海外からの著名なレビュワーによるポートフォリオレビューや国内外の写真作家たちとじっくりと写真について意見交換をすることが出来る、とても貴重な機会であるにも関わらず、私自身が今回参加するまでこの写真祭について全く無知であったことが本当に勿体なかったです。 今回、六甲山国際写真祭で写真展のお誘いをいただいた時に、「この写真祭はアートやメディアとしての写真を社会に繋ぎ、さらに世界と日本の社会を繋ぎ、写真家が取り組んでいるプロジェクトを通して人々が世界の現状に目を向けてディスカッションを始めるきっかけしてもらいたい、、、」こういった目的があると伺いしました。それなりに平和な国で暮らす私たちの日々とは遠い地域で起きている問題をあえて直視する必要がないという日本の風潮や社会問題を扱った作品が敬遠されがちな日本の写真界の中で、パーソナルな作品やよりアート性の高い写真作品と同じように、よりジャーナリスティックな視点で社会問題を切り取った私の作品も丁寧に取り上げていただいたことを本当に感謝しています。 今回の写真祭で2012年から14年まで取材をした「Ala Kachuuキルギスの誘拐結婚」の展示をしていただきました。写真祭のオープニングに合わせて行われたトークイベントで、この問題についての私の思い、取材中のエピソードなどをお話しました。 中央アジアのキルギスでは、合意なく女性を奪い去り結婚をするAla Kachuu (アラ・カチュー 直訳では『奪って去る』)が横行し、地元の人権団体によると毎年1万人ほどの女性が被害にあっていると言われています。(Ala Kachuuについての詳細は、こちらを読んでいただけたらと思います→ (http://rokkophotofestival.com/blog/?page_id=11937)。 トークイベントでは、私が取材中にこの問題にどう向き合うべきか悩みながら撮影をしていたということについて主にお話をしました。その一つがAla Kachuuを「人権問題」としての問題提起を目的に伝えるか、それとも「文化紹介」として伝えるかということです。取材当初は、Ala Kachuuは女性に対する人権侵害という意識で取材を開始したのですが、取材を進めていくにつれ、かつてAla Kachuuで結婚をした結果幸せに暮らしている夫婦に多く出会ったこと、女性を誘拐したことのある男性たちと話をしても、ほぼ全員が実に常識があり、温かい人間的な方たちだったということもあり、取材を初めて2ヶ月後あたりから この問題を「人権問題」として伝えるべきなのか、それとも否定も肯定もせずに「キルギスの文化」として伝えるべきなのか悩むようになっていきました。 結果的に私は「人権侵害」としてこの問題を伝えることにしましたが、発表後は多くの方たちから、 日本人としての価値観を元に他国の「文化」を否定するのはおかしいという意見がありました。しかし、私が取材を通して「人権侵害」と結論付けたのは、女性の合意ないAla Kachuuはキルギスでも違法であること、決して伝統ではないこと、 婚約者がいるにもかかわらず誘拐され自殺に追い込まれた女性たちの遺族の苦しみを知ったこと、そして誘拐され今は幸せに暮らしている女性たちの多くが自分の娘にはAla Kachuuを経験しないで欲しいと話していたことなどが理由です。ただ写真展や写真集として発表させていただく際には、見ていただく方々に私の考えを押し付けるような編集(写真の選択や並べ方)の仕方ではなく、「文化」とも「人権侵害」と考えられている、このAla Kachuuの複雑さを複雑なままに伝える編集をするようにしています。そうすることで、私の写真をきっかけに、この問題についてのディスカッションを促せたらという想いがあります。 そして、もう一つ伝えたかったことは合意のないAla Kachuuは人権侵害であるということについての私の立場は変わらないのですが、誘拐された後に結婚した女性たちのことをセンセーショナルに伝えたくなかった、そして私の感情的にならず冷静な視点でこの問題を伝えたかったということです。日本語で「誘拐結婚」と訳されるとどうしてもセンセーショナルに聞こえてしまい、どちらかというとニュース的な誘拐される場面の写真ばかりが注目されてきたことを残念に思っていました。誘拐された瞬間に女性たちの人生が終わるわけではないからです。取材を通して、誘拐されたばかりのある一人の女性の結婚式に立ち会う機会がありました。その後に彼女が試行錯誤しながらもどうやって新しい村の家庭に入っていったのか、その1年半後には彼女が母親になる瞬間にも立ち会いました。彼女をずっと取材して感じたのは、突然見知らぬ土地に嫁ぐことになった若い女性が、今は近所付き合いも家事もそつなくこなし、この村でずっと生きていくことを受け止め、思い描いていた未来を奪われても、必ずここで幸せになってみせるというというような覚悟さえ感じたことです。私が切り取ったのは彼女の人生のほんの一部にすぎません。彼女が母親になった時に、これからの彼女の人生も見続けていきたいと改めて思いました [...]